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1992年ロンドンの社債調印式で

事業法人部門に配属されると、生活も担当企業の色に染まる。

東芝を担当した時は、家中の家電が東芝製品に替わりました。アサヒビールを担当してからは、他社のビールは飲まなくなりました。今でもスーパーや百貨店、コンビニに行くと、かつて担当した企業の商品の陳列状況が気になります。

平日の夜は宴席、土日はゴルフです。子供の入学式や運動会はまったく行けず、家族と過ごす時間はありませんでした。働き方改革の時代、これではいかんと社長になってから「キッズセレモニー休暇」を設けました。社員が子供の行事などで休みを取りやすくするためです。

事業法人マンの醍醐味は主幹事の逆転です。上場企業には主幹事証券がいますが、日々の営業努力や適切な提案などで食い込み、資金調達の案件で主幹事の座を奪取するのです。私は家中の家電を替えた東芝やアサヒビール、ANA、三井物産、三井不動産などの社債発行で主幹事を獲得しました。

実績も上げたが、忘れられない失敗も。

2000年にフジテレビを担当していた時です。資本政策の見直しに伴う1200億円の株式売却を任されました。機関投資家に一括で売却するブロックトレーディングという取引でした。売れ残って一時的に保有していた株が急落し、120億円の損失が発生してしまいました。

2000年度の第3四半期(10~12月期)、大和証券は大手の中で唯一、赤字決算になりました。私の出した120億円の損失のためです。当然、責任を追及され、厳しい処分が出るものと覚悟していました。結果、私には何の処罰もなく、人事考課も下がりませんでした。当時の担当役員は現日本証券業協会長の鈴木茂晴さんです。いただいた年賀状にはひと言、「前進あるのみ」。涙が止まりませんでした。

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