阪神大震災26年、神戸で追悼「がんばろう」 つなぐ教訓
阪神大震災から26年となった17日、犠牲者を追悼する「1.17のつどい」が開かれた神戸市中央区の東遊園地では遺族らが静かに手を合わせ、冥福を祈った。「がんばろう 1・17」の形に並べられた灯籠にろうそくの火がともされ、地震発生時刻の午前5時46分に黙とうがささげられた。
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新型コロナウイルスの緊急事態宣言下となった今年は、兵庫県内各地で追悼行事が中止や規模縮小となった。「1.17のつどい」は感染防止対策として来場者の分散を促すため、例年より1日早めて16日から開催。会場での遺族代表や市長の追悼のことばを取りやめ、神戸市のホームページで原稿と動画を公開した。
遺族代表の日本舞踊師範、加賀翠さん(65)=神戸市東灘区=は、全壊した家の下敷きになった長女の桜子さん(当時6)を亡くした。追悼のことばには、いつも笑顔のまな娘が近所の人から「街の太陽」と呼ばれていた思い出に触れ、「だから私も泣かずに笑顔を心がけています」とつづった。最後には「32歳になった姿を見たいです」と母としての気持ちを記した。
兵庫県加古川市の介護士の佐藤悦子さん(57)は、震災で神戸市須磨区の実家が全焼し、一人暮らしだった母の正子さん(当時64)の行方が今も分からない。「母の遺骨が見つかっていない私にとっては、年に一度の『つどい』が母に手を合わせる唯一の場所。今年も献花に来られてよかった」と話した。
神戸市灘区の高校生、迫田希琉さん(17)は、当時学生だった母親が友人を亡くし、被災体験を語り継ぐ団体の一員として活動する。「コロナ下で規模が縮小されても、追悼の思いを届けたいという人が多くいることを感じた。身近な人を災害で亡くしてしまうことを忘れてはならない」
久元喜造市長は神戸市のホームページで公開した追悼のことばで「緊急事態宣言が発令される中で1月17日を迎えた。震災の教訓をどのように次の世代に継承していくのか、大事な課題になっている」と語り、今後も追悼行事や若い世代も含めた防災訓練に力を入れる考えを示した。
阪神大震災は災害支援の仕組みが生まれる契機となった。
ボランティアが各地から神戸に集まったのを受け、1998年に活動を後押しする特定非営利活動促進法(NPO法)が成立。初期医療が遅れた反省から医師や看護師らでつくる災害派遣医療チーム(DMAT)が普及するきっかけにもなった。ボランティアやDMATは2011年の東日本大震災や16年の熊本地震などでも活動し、被災地支援に欠かせない存在となっている。
一方、阪神大震災では神戸市長田区などで火災が発生し、木造住宅が集まる「密集市街地」の危険性が指摘された。国は解消を目指しているが、全国になお約3000ヘクタール(19年度末時点)が残されている。災害に強いまちづくりなど防災の取り組みに終わりはない。
(大阪社会部・堀越正喜、川野耀佑、高橋直也 大阪写真映像部・小川望、松浦弘昌、玉井良幸、目良友樹)