新社会人へ、葛藤のススメ 苦しんだ経験が財産に
新年度がスタートしたが新社会人の皆さんは新しい環境に慣れただろうか。
県庁職員として歩みを始めた私の25年前、必ずしも希望に満ちたものではなかった。大学へ入るのに2年浪人し、1年留年したため年齢的に民間企業への就職は難しく、仕方なく公務員を選んだようなものだった。そのため同期が新規事業や自ら描いたプロジェクトを立ち上げようと前向きに取り組むのを見ても少々冷めた気持ちでいた。
初めて配属された職場は出先機関である土木事務所で、道路建設や河川、砂防事業の公共用地の買収が担当。すんなり土地の買収に応じてくれる地権者は皆無で、この仕事は非常に難しかった。「事業の趣旨に賛同できない」「なぜ先祖から守ってきた土地を奪われるのか」「もう来ないでほしい」などと言われるたびに落ち込んだ。同僚の工事担当者からは、早く土地買収を進めなければ工事を年度内にすませられないとプレッシャーをかけられ、学生時代のぬるま湯感覚のままの私には耐えがたかった。
同期の大卒の職員の多くが本庁に配属され、なぜ私は出先の、しかも事務系職員としては裁量権のない用地買収の担当者なのかとふてくされていた。2年目になっても典型的な指示待ち人間のまま。決して順調とはいえなかったが、何とか投げ出さずに踏ん張れた。こればかりは学生時代から長距離走の世界で我慢する心を養ってきたおかげだろう。
人事当局もこのことを評価してくれたのか、3年後の異動で県の中枢である人事課への配属となった。その後の12年間は本庁での勤務。仕事のボリュームはすさまじかったものの裁量権のある仕事や新規事業にもかかわることができ、やりがいを感じる毎日を送ることができた。
今になって思えば、社会人の駆け出しの時に見ず知らずの他人を相手にその人の人生を変えるような深刻な場面に居合わせたことで、いや応なく社会というものを意識するようになると同時に自分の弱さとも向き合うことになった。あの3年間の経験はあとの人生においても仕事への責任感と覚悟を身につける、大きな財産になった。
こうして40歳まで15年間は県庁職員として勤務、のちにプロトレイルランナーとして独立した。在職中、出先機関に勤めた最初の3年をあえて顧みることはなかった。つらい過去として心に閉じ込めていたように思う。最近、かつて用地買収にかかわった道路や河川を訪れることがあり、拡幅によって歩道が設置され、子どもたちが安全に通学する姿を目にして当時の苦労が報われたような安堵の思いが胸に広がった。
サラリーマンになってすぐなら、自分の存在を社会を動かす小さな歯車のように感じて失望することもあるだろう。私自身がまさにそうだった。ただ、苦しんだ経験や葛藤した時間は、決して無駄にはならない。のちの人生で必ずや生きてくるし、それぞれの小さな仕事は、将来を創造するひとつのピースになっている。そう信じて、新社会人のみなさん、頑張ってください。
(プロトレイルランナー)