入社時は「船底の日々」も 野村信託銀の鳥海社長
野村信託銀行の鳥海智絵社長は2014年の就任時、日本の銀行で初の女性の社長が誕生したと話題になった。親会社の野村ホールディングスの前身である野村証券は猛烈な働き方をしていた印象が強い。入社当時は「船底を掃いているような」日々の繰り返しで、何度も会社を辞めたいと思ったという。(聞き手は日経産業新聞編集長 野沢正憲)
――銀行初の女性社長として注目されました。
「銀行や野村グループへの男性的なイメージから違和感を覚えた人もいたようです。私は特別なことではないと思っていますが、同じ会社に30年近く勤めて幹部になることは思い描いていませんでした。結果的に心臓が強く、ある意味で無神経な人が会社に残っているのかもしれませんね」
――なぜ野村証券に入社したのですか。
「話をした女性の社員と一緒に働きたいと思ったからです。男女雇用機会均等法の施行後でしたが、女性が本当に活躍していると感じた企業は多くありませんでした」
「バブル経済の絶頂期で男だ女だと言っていられないほどの忙しさでした。米スタンフォード大学に留学させてもらったり、男女の違いに関係なく働く外資系の企業と仕事をする機会が多かったりしたため、性差を意識することなく好きにやらせてもらったと思います。女性だから損したということはありません」
――入社後の仕事はワラント債のトレーディングでした。
「同じパターンの繰り返しでした。日々神経をすり減らし、時には怒鳴り合ったりしながら、そこまでして仕事をする意味がわかりませんでした。1日に何度も会社を辞めたいと思いました」
――それでもなぜ続けられたのでしょうか。
「自分たちが扱う商品がマーケットをつくり、企業の育成に寄与していることが理解できたからです。自分の仕事の意義を理解すると面白くなるはずです。その先には何があるのだろうと興味も持てるようになります」
「社歴が浅いうちは日々の仕事が面白くないかもしれません。毎日が船底を掃いているような地味な日々です。それでも漫然と仕事をせずに好奇心を持って頑張っているとある時、甲板の上が見えた感覚がして『なるほど、こういうことだったのか』と理解できる瞬間があるはずです」
――1996年に結婚しました。
「最初は仕事も家事も完璧にやろうとしましたが、帰宅が遅くなると大変になりました。無理をしないのが続く理由です。女性がすべてをやらなければいけないわけでもありません。買収した旧リーマン・ブラザーズの社員が仕事にメリハリをつけ、家族を大事にする姿勢にも刺激を受けました」
「女性はライフイベントに左右されることが多く、選択を迫られますが、人生は思い通りに行きません。その時々にできることを柔軟にこなすことがキャリアにつながってきます」
――留学や結婚で仕事観は変わりましたか。
「社内では珍しいキャリアパスですが、自分が目指したものではありません。人事は希望してかなうものではなく、『天命』でした。今はそういう時代ではないのかもしれませんが。望まれた以上のクオリティーでやり遂げ続ける。自分の持ち場、持ち場でプロになることが大事です」
――官民挙げて働き方改革が進んでいます。
「社長を務めたこの数年でずいぶん変わってきたと思います。数値目標よりも人々の考え方が変わることが大事ではないでしょうか。一般に女性が子供や介護の責任を負いながら競争する考え方が多いですが、当社は看護や介護のための休暇を1時間単位で取れる制度をグループ各社に先駆けて導入しています」
――若い会社員へのメッセージはありますか。
「恵まれた環境で多くを与えられて育ってきたので、自ら動いて獲得し作っていく力が少し弱いと感じます。私は先輩の机拭きや灰皿掃除をしながら周辺に捨てられた資料を拾って保存したり、机にある本のタイトルをメモしたりして週末に勉強しました」
「仕事の意義は誰かの役に立つことです。若い時は自分やお金のためでも構いません。がむしゃらに勉強したり仕事したりすることが顧客の役に立ちます。経験を積むにつれてその対象が部下や家族、社員全体や社会に広がっていくのです」
■ ■私のこだわり■ ■
バブル期の学生時代に熱中したテニスやスキーは今もシーズンになるたびに楽しむ。一人でも指導を受けられることから、最近は自宅近くの卓球場にも通う。
電子ピアノを演奏し、ゴスペルの合唱団にも参加する。運動と音楽を存分に楽しむが、「これ以上は手を広げない方がよさそう」と笑う。仕事の移動中は電子書籍を持ち歩き、先端用語を解説する新書やミステリーを読む。
(流合研士郎)
[日経産業新聞 4月4日付]