ダニエル・デイ=ルイス引退作 恋の痛みと狂気を体感
恋する映画(1)『ファントム・スレッド』
さまざまなジャンルの映画が毎週末公開されていますが、どの作品を見たらいいか悩んでしまうという方のために、「恋する映画」と題して女性にオススメの注目作をご紹介したいと思います。第1回を飾るのは、アカデミー賞でも主要6部門にノミネートされ話題となった『ファントム・スレッド』です。
物語の舞台は1950年代、ロンドン。レイノルズは天才的な仕立屋として、英国ファッション界のみならず、社交界にもその名をとどろかせていた。そんなある日、レイノルズは立ち寄ったレストランでウエートレスをしていたアルマと出会う。レイノルズにとって「完璧な身体」を持つアルマは、ミューズとして受け入れられ、昼夜問わずモデルとなるのだった。しかし、アルマの気持ちに無神経なレイノルズ。不満を募らせた彼女は、ついにある行動を取り、「禁断の扉」を開いてしまう……。
タイトルを直訳すると、「幻の糸」という意味ですが、これはビクトリア時代に王侯貴族の服を作るために長時間労働をさせられていた東ロンドンの縫製従業員たちが、疲労のあまり仕事のあとも「見えない糸」を縫い続けていたところからきているのだという。本作では、主人公のレイノルズが、仕立屋にとって欠かせない「見える糸」に固執するあまり、人生における「見えない糸」に翻弄されていく姿が描かれています。
名優ダニエル・デイ=ルイス最後の雄姿は見逃せない
まず、この作品で恋するポイントといえば、何と言っても主演を務めたダニエル・デイ=ルイス。アカデミー賞では、過去最多となる3度の主演男優賞受賞を誇る名優ですが、あふれんばかりの大人の色気に女性なら誰もが引き込まれてしまうところ。そして、60歳を過ぎてなお、深みを増す演技と存在感には終始くぎ付けになります。
そんなデイ=ルイスですが、今回スクリーンに登場した瞬間、頭のなかにある言葉がよぎりました。それは、現在公開中の『ラブレス』の監督であり、先日開催されたカンヌ国際映画祭でも審査員を務めたロシアの鬼才アンドレイ・ズビャギンツェフ監督の言葉。彼は俳優が何かを演じようとしているときはOKを出さずに、本当だと感じられたときにだけ「信じる」と言うのだとか。まさにその言葉がふさわしいデイ=ルイスの、演技を超えた驚くべき説得力には誰もが圧倒されるはずです。
それもそのはず、過去には俳優業から離れて、靴職人としてイタリアで修業していた時期もあるため、もともと職人気質。さらに今回はこの作品のために、仕立てに関する膨大な資料やドレスを研究し、洋裁も基礎から1年にわたる修業を積んだという。最終的に、バレンシアガのスーツを複製できるほどの腕前になったデイ=ルイスだからこそ、たたずまいから仕立屋としての歴史を感じさせ、観客を信じさせることができるのです。
とはいえ、これは本作に限った話ではなく、「ダニエル・デイ=ルイス、武勇伝」と検索すればわかるように、過去の作品でも常人には考えられないような役作りで挑むのが「役者ダニエル・デイ=ルイスの流儀」。そんな彼がこれから迎える円熟期にどんな演技をみせてくれるのかと、世界中の映画ファンの期待が高まっているところですが、昨年まさかの引退発表。いつの日かカムバックすることを祈るしかありませんが、現段階では本作がデイ=ルイス最後の主演作となるので、そういう意味でも必見の作品です。
愛するがゆえに生まれる緊迫感にしびれる
そして、もうひとつ恋するポイントを挙げるならば、出会うべくして出会ったレイノルズとアルマが繰り広げる恋愛模様。「カリスマデザイナーに見初められたウエートレスのシンデレラストーリー」と安心してみていると、衝撃の展開に心がかき乱されることに。アルマはある驚がくの方法でレイノルズの愛を勝ち取りますが、まさに命懸けともいえるようなゆがんだ愛情のやりとりは、「もはや普通のラブストーリーでは物足りない!」という人にはぴったりの作品です。
主導権を奪い合う2人のように、どんな恋愛関係においても繰り広げられているマウンティング合戦。男女によっては、大きく意見が異なる作品かもしれませんが、そもそも恋愛においては何が正解かは本人たちにしかわからないもの。愛の形はカップルの数だけあるのだということを改めて感じるはずです。
異なる2人がひとつになろうとするとき、そこに伴うのは、針で布を縫い合わせるかのようなチクチクとした痛み。「運命の糸」が絡まり合った2人の愛は狂気か、それとも究極か。思わず酔いしれてしまうような映像と衣装の美しさだけでなく、対極にある人間の毒々しさとおかしさ、それらすべてを堪能できる唯一無二のラブストーリーはぜひスクリーンで体感してください。
(ライター 志村昌美)
監督・脚本:ポール・トーマス・アンダーソン
出演:ダニエル・デイ=ルイス、ヴィッキー・クリープス、レスリー・マンヴィル
配給:ビターズ・エンド/パルコ
5月26日(土)より、シネスイッチ銀座、YEBISU GARDEN CINEMA、新宿武蔵野館ほか全国ロードショー!
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