変わる現場に思い交錯 尼崎脱線現場で遺族ら
「人の生死を感じるには、あまりにも…」
JR西日本の電車が衝突した兵庫県尼崎市の現場マンションは、保存のあり方を巡って遺族らとJR西の間で議論が続いていた。JR西は慰霊施設として整備する方針を決定。アーチ状の屋根がこのほど完成したが、事故当時とは様変わりした姿に、25日に足を運んだ遺族や負傷者からは複雑な思いが漏れた。
「人の生死を感じるにはあまりにも小さく、きれいになってしまった」。当時2両目で重傷を負った小椋聡さん(48)は献花台を訪れた後、静かに語った。9階建てだったマンションは事故の痕跡がある4階部分より下を残し、上の階は取り壊した。「僕にとっての事故現場ではない」と戸惑っていた。
JR西は事故現場の保存について、遺族らに意向を尋ねるアンケートを2012年から複数回実施。14年7月に4階以下を階段状に残す保存案を示し、15年3月に計画を決定した。工事は16年1月に始まり、18年夏の完了を見込んでいる。
長女(当時40)を亡くした藤崎光子さん(78)は「当時の姿のまま保存してほしかった」と訴える。一方、事故で一時重体となった松丸直也さん(40)は妻と子供2人を連れて現場を訪れ「保存するための環境が整い、事故をずっと伝え続けることができる」と前向きに受け止めていた。
JR西はマンション周辺を「祈りの杜(もり)」として整備する方針で、企業責任や反省の言葉を記した慰霊碑、犠牲者の氏名を刻んだ名碑を設置する。惨事を伝えるため、資料を展示するスペースも設ける。工事終了後は誰でも敷地に入れるようにする方針だ。