10時間で本人特定、スマホ位置から出張・実家も筒抜け
膨大なデータがあふれるインターネット。氏名や顔情報などの個人情報は法律で守られるが、スマートフォン(スマホ)の位置など匿名化された状態なら誰でも入手できるデータも多い。簡単に得られるデータを組み合わせると、どこまで個人に迫れるのか。記者(29)が試すと、完全な匿名情報から出発して10時間で個人を特定し、半年間にわたる詳細な行動まで把握できた。
ネット上では匿名ならばスマホなどの位置情報が合法的に入手可能。記者は「グーグルの検索などと併用すれば、個人を特定できるのではないか」と考えた。
全て公開データ
で追跡
特定する相手の目星をつけるため、データ取引を手掛けるエブリセンスジャパン(東京・港)のスマホ用アプリ「エブリポスト」を利用した。ユーザーが自分の位置情報などを企業や研究機関に売り、新しいサービス開発などとつなげるためのサービスだ。全地球測位システム(GPS)を使い、ユーザーの移動履歴を数メートル単位で緑色の点と線によって地図上に表示。専用サイトで公開していた(現在は非公開)。
記者はサイト上の、ある人物の動きを示すひとつの点に注目した。国内外を活発に移動しているため、比較的特定しやすそうだった。まず頻繁に滞在している場所から、ある大学の関係者である可能性が高いと推定した。さらに海外での立ち寄り先と時期をみて「9月 ハワイ 国際学会」などと検索を繰り返すと、どの場所でも無線の通信規格などを専門にする国際学会が開かれていたことが判明。これらの共通項をみたす人物として、一人の男性の名が浮かんだ。
決め手は約10時間後。その人物がよく訪れる場所のひとつを、道路沿いの風景などを閲覧できるグーグルの「ストリートビュー」でみると、白い壁の一軒家の画像にたどり着いた。拡大すると表札が、その名前と一致。記者は思わず「見つけた」とつぶやいた。
約1週間後の3月半ば。記者はまだ寒さの残る北海道室蘭市にいた。訪ねたのは室蘭工業大の北沢祥一教授(51)の研究室。北沢教授こそ、記者がネット上で探索した「緑色の点」の本人と判断した相手だった。記者は手元に、ネットで集めた情報から割り出した北沢教授の半年間の行動を記したメモを持参。どこまで正確に割り出せたのか、ひとつひとつ本人に確かめた。
○2018年9月。米ハワイ州で国際学会に参加するため出張。忙しい勤務の合間を縫って、宿泊施設「洞爺サンパレスリゾート&スパ」(北海道壮瞥町)で休息。
○18年10月。兵庫県西宮市内の実家に帰省。神戸空港で飛行機に乗り、新千歳空港に戻る。室蘭市郊外のカフェ「宮越屋珈琲」で一息。
○19年1月。米ミズーリ州東部のセントルイスで無線の通信規格を議論する学会に出席。
「これ、全部あなたのことですよね」。記者が尋ねると、黙って聞いていた北沢氏がうなずいた。「プロファイリングに成功されたということですね」
ネット上のデータを集め、個人の職業や趣味・志向、行動パターンなどを推定することを「プロファイリング」という。興味を持ちそうな相手に配信先を絞り込む「ターゲティング広告」などによく使われる技術だ。ネット広告業者は「広告配信には個人が誰なのかまで知る必要はなく、実際に特定もしない」と口をそろえる。ただ今回のように、その気になって条件もそろえば、本人の氏名や詳しい行動を割り出すことは十分可能だ。
犯罪に悪用リスクも
個人情報保護法では、匿名の位置データは個人情報に該当しない。そのため個人情報である氏名や住所、顔情報といったものほどは取り扱いが規制されず、本人の同意を得なくても企業間で共有することもできる。記者が実際にやったように、個人データを渡した覚えのない企業からいつのまにか本人が特定され、行動が筒抜けになる可能性もあるということになる。
こうして割り出された氏名や住所、行動データは、本人が知らないうちに拡散し、詐欺やストーカーなど犯罪に悪用される危険もある。データを扱う企業だけでなく、ユーザー側も認識を強める必要がある。
匿名の位置情報を公開していたエブリセンスの担当者は「位置データの公開について、利用者から事前に同意を得ている」とする一方、「同意を取る際により丁寧に説明するなどプライバシー保護の対応を強化していきたい」と強調。3月20日夜に、専用サイトでのユーザーの位置データの公開も取りやめた。
ちなみに、記者は北沢教授のプロファイリングで、ひとつ間違えた。18年9月に北沢氏が宿泊施設を訪れたのは休暇ではなく、大学の公式行事があったからだという。「遊びだったらよかったんですけどね」。北沢教授は苦笑いした。
(寺井浩介)
データ資源は21世紀の「新たな石油」といわれる。企業や国の競争力を高め、世界の経済成長の原動力となる。一方、膨大なデータを独占するIT(情報技術)企業への富と力の集中や、人工知能(AI)のデータ分析が人の行動を支配するリスクなど人類が初めて直面する問題も生んだ。
連載企画「データの世紀」とネット社会を巡る一連の調査報道は、大きな可能性と課題をともにはらむデータエコノミーの最前線を追いかけている。