動き出した「大新宿」構想 山手線西側の反転攻勢
TOKYO大変身
2000年代初め頃から活発になった東京の都市再生プロジェクト。その8割は東京駅など山手線の「東」に集中してきた。だが、渋谷や新宿など「西」のエリアも反転攻勢に出始めた。東急グループが大型再開発を仕掛ける渋谷に続くのは新宿だ。20年に新宿駅の東西自由通路が開通するのをにらみ、都庁があるオフィス街の西新宿と繁華街の歌舞伎町などをつなぐ「大新宿構想」が動き出す。
「西新宿の高層ビル群をデッキで結べないか」――。今からおよそ10年前。住友不動産の首脳はこんな構想を打ち出した。
背景にあったのは危機感だ。当時、大型再開発が実を結び始めた丸の内や六本木。一方で1960~80年代に開発が進んだ大手の不動産や生保、損保の超高層ビルが林立した副都心の西新宿はにぎわいが薄れつつあった。
大きな高層ビル群をつないで街を一体化するデッキ構想は時を経てかたちを変え、2つの国家戦略特区事業を生んだ。
ひとつは