東日本大震災から4年。街を覆い尽くしていたがれきは、一時あちこちで大きな山を築いていた。現在、がれきの処分は進み、岩手、宮城両県では地盤のかさ上げ工事が急ピッチで進む。岩手県陸前高田市では全長3キロの巨大なベルトコンベヤーが山から土を運び、旧市街地には高さ数メートルの盛り土が広がっている。

 一方、福島県では津波の被害を受けた多くの家屋がいまだ放置されている。増えているのは除染で生じた汚染土が入る黒い袋の山だ。東京電力福島第1原子力発電所のある双葉町と大熊町では、2月に中間貯蔵施設の整備工事がようやく始まった。富岡町の桜の名所「夜の森公園」周辺では、なお除染作業が続く。今春もまた桜まつりは見送られるもようだ。

「最初の1、2年は生きるのに精いっぱいだった。4年は長くもあり短くもあった」。宮城県で再会した女性は、いまだに犠牲者の名前が刻まれた慰霊碑の前には足を運べないという。時間が過ぎても、街がきれいになっても、心の中の「震災」は終わっていない。

 日本経済新聞写真部は、震災直後から変わる街の姿を定点観測し、定期的に写真に記録してきた。復興工事が進み撮影の目印にしていた目標物が移動・撤去され、カメラアングルの特定が難しくなっているところも増えた。震災から4年後の被災地を撮影し、震災直後に撮った写真と重ね合わせた。(2015年3月9日)
岩手県宮古市田老地区
津波は高さ10メートルの防潮堤を越え家屋を押し流した(2011年4月1日)。津波によって破壊された部分は震災の記録として保存される。がれきが撤去されたスペースは野球場になる予定だ(2015年3月4日)
岩手県山田町
仮置き場に積み上げられた自動車などのがれき(2011年4月6日)。現在は片付けられ来年度の予算で約8500本のアカマツやクロマツの苗木が植林される予定。防潮林として完全に育つのは50年後だという(2015年2月21日)=構図を変えて撮影
岩手県大槌町
津波で2階建ての民宿に乗り上げた観光船「はまゆり」(2011年4月20日)。船は解体、撤去されたが町は復元を目指して全国から寄付を募っている(2015年1月28日)
岩手県釜石市
高さ10メートル近い津波が襲った街の中心部(2011年4月20日)には、ショッピングモールが2014年に開業した(2015年1月28日)
岩手県大船渡市
跡形も無く破壊されたJR大船渡駅(2011年3月20日)。不通となっていた大船渡線は現在、バス高速輸送システム(BRT)に代わり、市民の生活の足として運行している(2015年1月28日)
岩手県陸前高田市
街の中心部が壊滅的な被害を受けた(2011年3月14日)。「奇跡の一本松」(左下)の周辺では巨大なベルトコンベヤーによってかさ上げ用の土砂が山から運ばれている(2015年3月3日)
宮城県気仙沼市
被災直後は市街地に漁船が打ち上げられ、白煙が上がっていた鹿折地区(2011年3月12日)。宅地造成のためのかさ上げ工事が進む(2015年2月4日)
宮城県南三陸町
津波で壊滅的な被害を受けた市街地(2011年3月14日)は海抜10メートルを超える新しい街づくりに向けて、大型トラックが土煙を上げて行き交う(2015年2月4日)
宮城県女川町
高さ約17メートルの津波に襲われた町の中心部(2011年3月19日)。3月21日のJR石巻線の全線運転再開を前に女川駅(中央上)周辺は一気に整備が進む。周辺では山が削られ平地部分が広がっている(2015年3月3日)
宮城県石巻市
船やがれきにふさがれていた市街地の道路(2011年3月19日)。電柱は建て直され、人や車が行き交う姿が戻った(2015年2月3日)
宮城県東松島市
被災直後は打ち上げられた船や壊れた住宅が線路をふさぐ(2011年3月14日)。内陸部に移設されて復旧工事が進むJR仙石線。5月、4年2カ月ぶりに全面復旧する見通しだ(2015年2月3日)
宮城県仙台市若林区
孫の向坂夢歩くんを背負って、一時帰宅した高橋克寿さん(2011年3月13日)。しばらく離れて暮らしていたが、被害を受けた自宅を修復して再び一緒に住んでいる。夢歩くんは小学校1年生から5年生になり、身長が30センチ伸びた(2015年2月22日)
宮城県名取市閖上地区
震災直後は頂上から辺りを見回す人が絶えなかった日和山(2011年3月15日)。地域の追悼のシンボルとなり階段には神社の鳥居が建てられた(2015年3月3日)
宮城県亘理町
阿武隈川河口では津波が当時の防潮堤を乗り越え、住宅地は水浸しになった(2011年3月12日)。海岸から続く新たな防潮堤が建設中だ(2015年3月3日)=構図を変えて撮影
福島県新地町
列車ごと津波に襲われたJR常磐線の新地駅(2011年3月12日)。線路用の新たな高架が建設され、駅前の整備に向けて歩む(2015年2月6日)
福島県相馬市
岸壁が沈み車や家屋が流れ込んだ松川浦(2011年9月6日)は、放射性物質の影響で特産の青ノリは出荷できず、復旧整備された海岸で小型船が静かに再開を待つ(2015年2月6日)
福島県南相馬市
除染のため校庭の土がはがされた原町第二小学校(2011年8月31日)。現在は昼休みに子どもの元気な声が響く(2015年2月24日)
福島県双葉町
原発事故直後は町全体が警戒区域だった(2011年4月25日)が、幹線道路の国道6号線は車両通行が可能になったものの、枝道には鉄格子が張られ市街地への立ち入りが制限されている(2015年2月5日)
東京電力福島第1原子力発電所
右から4号機、3号機、2号機、1号機の原子炉建屋。メルトダウンの影響で水素爆発を起こした3号機の建屋上部は鉄骨がむき出しになっていた(2011年11月12日)。汚染水処理など廃炉への課題がいまなお山積みだ(2015年2月23日)
福島県富岡町
春になると桜が咲き誇る夜の森地区の並木道(2012年4月19日)。現在は周辺でも防護服なしで立ち入ることができ、今年度内に除染を終える方針だが、ここでの桜まつりは今年も見送られるようだ(2015年2月6日)
福島県楢葉町
常磐自動車道(奥)沿いに広がる田畑に積まれた汚染廃棄物(2013年8月2日)。仮置き場には防水シートがかぶされている(2015年2月24日)
福島県いわき市
がれきが散在していた平豊間地区(2011年4月28日)。近くの海岸では波乗りを楽しむサーファーの姿が見られるようになった(2015年2月5日)
取材:編集局写真部