福島で計画避難始まる 「引っ越し」やりきれない
東京電力福島第1原子力発電所の事故で計画的避難区域に指定された福島県内の5市町村のうち、飯舘村と川俣町で15日、一部住民の避難が始まった。最低限の荷造りで住み慣れた土地を離れる異例の"引っ越し"。「やりきれない」「もう戻れないかも」。事故収束の見通しが立たない中、苦渋の選択を迫られた住民らは一様に不安げな表情を見せた。
●飯舘村
「やっぱりやりきれないよ」。飯舘村の農協職員、大内和夫さん(53)は15日午前、住み慣れた自宅を見つめ、複雑な胸の内を明かした。村があっせんした福島市内の公務員住宅への避難が決まったのは、わずか2日前。自家用車3台に慌てて荷物を詰め込んだ。
大内さんには今月1日に生まれた陽翔(はると)ちゃんを含め7人の子供がいる。「みんな飯舘村で育てたかった。国の方針だから仕方ないが、最近ではこの地域の放射線量も下がっているのに……」と悔しさをにじませる。
同村によると、計画的避難の対象は人口約6500人のうち自主避難した人を除く約4千人。15日は乳幼児や妊産婦のいる10世帯64人が対象となり、出発前に村役場で菅野典雄村長(64)らの見送りを受けた後、福島市の公務員住宅や二本松市の温泉旅館などに引っ越しを始めた。
福島市内の公務員住宅には午後2時半ごろ、布団や着替えなどを積んだトラックが次々と到着した。1~7歳の子供3人を含む家族9人で避難した菅野律子さん(27)は部屋を見て「思ったより広い。荷物整理すれば何とか9人で生活できそう」とほっとした様子。自宅周辺は村の中でも特に放射線量が高い地域だった。「ようやく子供たちを外で思いっきり遊ばせられる」と表情をゆるめた。
しかし生まれ育った村を離れるのはつらい。「本当は地元にずっといたい。いつになるか分からないけど、状況が良くなれば早く村に戻りたい」と声を詰まらせた。
●川俣町
川俣町の山木屋地区では午前10時、山木屋公民館に乳幼児がいる8世帯が集まり、出発式が開かれた。古川道郎町長(66)は「不安はあると思うが、次につながるスタートだと思う。一緒にこの難局を乗り切りたい」とあいさつ。その後、各世帯の代表者らが移転先となった町営住宅の鍵や寝具などを受け取り、それぞれ車で新居に向かうなどした。
農業と旅館業を営む菅野栄作さん(48)の家族は、今は4世代計11人が同居。だが計画的避難により、両親は温泉旅館、長男の家族4人は町営住宅、2人の娘は福島市内のアパートに移り、菅野さん自身は妻と次男の3人で伊達市に避難するという。
離ればなれになるのは不本意だが「仲良く暮らしていても、お互いにプライベートな部分は保ってきた。いきなり大部屋で一緒に過ごすのは無理がある」と別々に暮らす決断をした。「農業も旅館も地震前の状態に戻すのは難しい。もう、あの土地には戻れないかもしれない」と漏らした。
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