イージス艦「あたご」衝突事故 当直2士官に無罪判決
横浜地裁「検察側の航跡特定、方法が不適切」
千葉県沖で2008年、海上自衛隊のイージス艦「あたご」と同県勝浦市の漁船「清徳丸」が衝突し、漁船の親子が死亡した事故で、業務上過失致死罪などに問われた当時の当直士官2人の判決公判が11日、横浜地裁で開かれた。秋山敬裁判長は「あたご側に回避義務はなかった」と述べ、2被告にいずれも無罪(求刑禁錮2年)を言い渡した。
2被告は、衝突時の当直士官だった元水雷長、長岩友久被告(37)と、衝突前に当直士官を交代した元航海長、後瀉桂太郎被告(38)=いずれも3等海佐、起訴休職中。
公判では清徳丸の航跡を巡り検察側と弁護側が対立。秋山裁判長は「検察側が主張する航跡は、僚船船長らの証言を恣意的に用いており特定方法が不適切」として検察側の立証姿勢を批判した。
その上で秋山裁判長は双方の主張とは別に、独自に清徳丸の航跡を特定し「衝突約3分前から2度右転し、衝突の危険性を生じさせた清徳丸側に回避義務があった」と認定。事故の主因をあたご側とした海難審判とは異なる判断を示した。
長岩被告が清徳丸を十分注視しなかったことや、後瀉被告が誤った申し送りをしたことは認めたが、「あたご側の回避義務を認められないから、2人に注意義務はなかった」と結論付けた。
起訴状で検察側は、あたご側に海上衝突予防法上の回避義務があったのに、両被告の過失の競合で清徳丸に衝突し、吉清治夫さん(当時58)と哲大さん(同23)親子を死亡させたとしていた。
刑事裁判とは別に事故原因を究明する海難審判の裁決は09年1月、あたご側の責任を認定して長岩被告の過失を認める一方、後瀉被告の引き継ぎ不備と事故との因果関係はないとした。