女優の高峰秀子さん死去 「二十四の瞳」など主演
昭和期の日本映画界を代表する女優として活躍、「カルメン故郷に帰る」や「二十四の瞳」などに主演、「デコちゃん」の愛称で親しまれた高峰秀子(たかみね・ひでこ、本名=松山秀子=まつやま・ひでこ)さんが12月28日午前5時28分、肺がんのため東京都渋谷区の病院で死去していたことがわかった。86歳だった。連絡先は東京都港区赤坂3の9の18のアクト法律事務所。告別式は近親者のみで行った。喪主は夫で映画監督の松山善三氏。
北海道函館市出身。5歳だった1929年、見学に訪れた松竹蒲田撮影所(東京)での子役審査に飛び入り参加し合格。同年の作品「母」でデビューした。
天才子役と呼ばれ歌手の東海林太郎、女優の田中絹代らに目をかけられて成長。戦前の代表作に38年の「綴方(つづりかた)教室」や41年の「馬」など。
戦後は木下恵介、成瀬巳喜男ら巨匠の監督作に数多く主演。日本初の総天然色映画として公開された「カルメン故郷に帰る」(51年)では主役の陽気なストリッパーを演じた。54年の「二十四の瞳」、55年の「浮雲」などでトップ女優の地位を確立。その後も「喜びも悲しみも幾歳月」などの主演作が高い評価を受けた。
私生活では木下監督の助監督を務めていた松山善三氏と交際し、55年結婚。79年の「衝動殺人・息子よ」を最後に映画界から退いた後はエッセイストとして活躍。「わたしの渡世日記」などの著書がベストセラーになった。
10月下旬に突然体調を崩して入院。肺がんと診断され治療を受けていたが、12月27日に容体が急変した。