上方漫才支え半世紀 喜味こいしさんが死去
兄の故夢路いとしさんとのコンビ「いとし・こいし」で、半世紀以上にわたり上方漫才の第一人者として活躍した喜味こいし(きみ・こいし、本名=篠原勲=しのはら・いさお)さんが23日、肺がんのため、大阪市内の病院で死去した。83歳だった。連絡先は和光プロダクション。告別式は27日午前11時30分から大阪市阿倍野区阿倍野筋4の19の115のやすらぎ天空館。喪主は長男、敏昭氏。
1940年に2歳上のいとしさんと「荒川芳博・芳坊」の芸名で漫才師としてデビュー。45年に広島で被爆するが一命を取り留めた。48年に「夢路いとし・喜味こいし」に改名した。
兄のとぼけた味と絶妙に調和する話術でテンポのいい「しゃべくり漫才」を築き上げた。代表演目に「交通巡査」「ジンギスカン料理」など。民放のテレビ番組の司会者としても人気を博した。
93年に兄弟で紫綬褒章。2003年のいとしさん死去以降、漫才の第一線から退いたが、上方芸能界のご意見番として存在感を示し、講演では戦争体験などを語った。