ビジネススクール、なぜ盛況?
将来に不安感じ、学び直し
まず、グロービス経営大学院(東京都千代田区)に向かった。「どんな勉強をするんですか」。「会計・財務、マーケティング、人事組織などの幅広い講座をそろえ、議論を通じて課題を解決する力を高めます」と経営研究科研究科長の田久保善彦さん(42)。ビジネスの最前線を知る経営者らが教員を務める。
同大学院は2003年度に制度ができた専門職大学院の一つ。日本は主要国に比べて大学院の規模が小さいという現状を踏まえて「高度で専門的な職業能力を有する人材の養成」を旗印に学生の裾野を広げる狙いがある。
大学関係者の推計によると、ビジネス系の専門職大学院の在学生は約30校の定員総数に相当する約4千~5千人で、大半は社会人。3~4年前に現在の人数に達した後、高水準を維持している。このほか、慶応大学などが通常の大学院に設けるビジネスコースもあり、専門職大学院より歴史は古い。多くの場合は昼間の授業が中心で、小規模。社会人学生の数は限られる。
次に、リクルート発行の冊子「社会人&学生のための大学・大学院選び」編集長の乾喜一郎さん(45)を訪ねた。「定員割れもありますが、夜間や土曜日の授業、学費の一部免除、柔軟な科目選択など工夫を凝らす大学院には定員を超える社会人が集まっています。社会人の取り込みには成功しているといえます」
章司は知人からビジネススクールの修了生を紹介してもらった。飯尾大典さん(39)は「現状打破と専門知識の向上」、小林貴之さん(46)は「経営のスタンダードの吸収」と通学の動機を語った。中央大学ビジネススクール教授の田中洋さん(61)に質問すると「一定の実務経験を積んだ後、経営学を体系的に学んで知識の幅を広げたい社会人が通ってきます」と説明した。12年度の在学生は180人で平均年齢は38歳。学費(2年間で340万円)を自己負担する人が多い。
「勉強熱心な人が多いですよ」と所長に報告すると「転職を考える人が多いんじゃないか」と指摘した。
転職直結せず、人脈築く場に
次に訪問したのは筑波大学東京キャンパス(東京都文京区)。大学院ビジネス科学研究科教授の猿渡康文さん(48)が「卒業後に転職する人もいますが、一部です」と教えてくれた。
ビジネススクールを卒業すると経営学修士(MBA)という学位を得られる。「MBAを持っていると転職に有利ですか」。ヘッドハンティング大手サーチファーム・ジャパン(東京都千代田区)社長の武元康明さん(44)に聞くと「MBAに理解を示す日本企業はありますが、採用の決め手にはなりません」ときっぱり。MBAを重視する外資系企業などもあるが「日本ではMBAだけでは人材の評価はできないと考える企業がほとんどなのです」。
経済学では、労働者や企業などが情報を集める過程をサーチ(探索)と呼ぶ。終身雇用制が根付いている日本では、労働者と企業が転職を前提に情報を交換する仕組みが整っていないためにサーチコストが高く、MBAを取っても転職しづらいとの研究もある。
働きながら立教大学大学院ビジネスデザイン研究科を卒業した庄司祐子さん。MBAを取っても処遇改善や賃金上昇につながらず、転職も有利にならない日本の現状に不満を感じた。05年、同研究科の修了生数人と一緒にNPO法人、MBAキャリアデザイン研究所(東京都江東区)を発足させ、セミナーなどを通じて日本企業に意識改革を促してきた。「MBAホルダーをうまく活用できないのは日本の損失です」
「転職には必ずしも有利でないとしたら、他の理由があるのかな」と首をかしげる章司に助け舟を出してくれたのは、早稲田大学大学院ファイナンス研究科に通う住友商事の種子達也さん(28)。「様々な業種の人たちとの交流が生まれ、よい刺激になっています」と人脈づくりを魅力の一つに挙げた。「ビジネスは急速に高度化しています。経営のリスク管理などを仕事にも生かしています」
「日本企業の意識はかなり変わってきましたよ」と声をかけてきたのは、NTTドコモ国際事業部の岡本宜大さん(31)。岡本さんはグロービス経営大学院を卒業し、現在は海外事業の立ち上げに携わる。「戦略を練るのに役立っています」と学びの効果を実感している。そこへ「プレゼンテーションをする機会が増え、MBAの知識を生かせる場面が増えたのでは」と筑波大学大学院教授のキャロライン・ベントンさん(49)が話に加わった。
再び武元さんに連絡を取ると「今の仕事にうまく生かせる事例はあるでしょう。ただ、会社が将来も安泰と言い切れる若者は少ないはず。転職や起業に直結しなくても、MBAを自分を強くする手段の一つと考え、不安を解消しているのかもしれません」と分析した。「同時にたくさんの資格を取る人もいます。社外でも通用する知識や思考方法を得たい欲求の表れです」と乾さんが補った。
講義を終えた早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授の川本裕子さんも顔を出した。「企業間のグローバル競争が激しくなる中で、終身雇用を信じる人は今やほとんどいません。自分の意思でスキルや知識を磨く人を評価したり、中途採用したりする企業は日本でも増えるでしょう」
「僕も通おうかな」とつぶやく章司に「探偵業の基本を学び直したければいつでも教えるよ。もちろん有料で」と所長がニコリ。
<社会人留学は頭打ち アジアで学ぶ日本人は増加>
大学や大学院で学びたい社会人にとっては海外留学も選択肢の一つ。しかし、社員の留学費用を負担する企業は減少傾向にある上に、自己負担で留学しても転職などに有利とは限らないとの見方も広がり、社会人の留学者数はここ数年、ほぼ横ばいか微減とみられている。
文部科学省がこのほど発表した日本人の海外留学状況によると、日本人の海外への留学者数(社会人を含む)は2010年で約5万8千人。前年に比べ約3%減り、6年連続で減少した。04年のピークに比べると約2万5千人の減少。不況下で留学費用を負担しづらい人が多いためではないかと同省は説明している。
留学先を国・地域別にみると、トップは米国の約2万千人で前年に比べ約14%減。3位の英国、6位のドイツなど欧米が軒並み減った。一方、2位の中国は約9%増。5位の台湾、9位の韓国などアジアへの留学は増えた。
社員の海外留学に改めて注力し始めた企業も一部にみられるが、まだ少数派。社会人は海外留学に比べれば費用が安く、働きながら通える国内のビジネススクールに目を向けているようだ。
(編集委員 前田裕之)
[日経プラスワン2013年2月23日付]