「私の人生のピークは70歳だった」
ジャレド・ダイアモンド氏 インタビュー(下)
生物学から医学、民俗学まで修める旺盛な好奇心で、人類史に新たな視点を提供してきたピュリツァー賞受賞者、ジャレド・ダイアモンドさん(75)は自身の全盛期は40代でも50代でもなく「70歳のときだった」と語る。待望の新刊「昨日までの世界 文明の源流と人類の未来」(上下巻、日本経済新聞出版社)の発刊を記念したインタビューの後編は、高齢化社会を幸せに生きるためのコツを聞いてみた。
――高齢化と表裏一体の問題として、日本では少子化の現象がある。子供を育てやすいように小児医療費の無償化などを打ち出しているが、金銭的なサポートで解決するだろうか。「昨日までの世界」では隣近所のみんなで赤ん坊を育てるような部族社会の子育ても描かれている。
「お金でこの問題は解決できないだろう。1920~30年代に、イタリアでムッソリーニが同じような施策を打ち出した。8人子供を産んだ女性に褒美をあげるというような内容だったが、特に効果はなく、問題を解決できなかった」
日本の女性の特異性
「私は日本にずっといるわけではないので、聞いたことしか言えないが、女性の役割が変わったのが少子化の原因ではないか。日本や欧米諸国では、女性と男性が平等になってきている。日本の女性は、その平等の権利をより強く欲しているように感じる。とある日本人女性は『高給の仕事があり、自分で自分を支えていけるのに、なぜ結婚しなくてはならないのか。40歳までに子供はほしいが、男性はいらない』と言っていた」
――成熟社会になればなるほど、人間が生殖活動に対して淡泊になる傾向はあるのか。
「そういったことはわからないが、少子化の現実をみれば、40年前に比べて子供を産むことにつながるセックスを好んでいないことは確かだろう。また、女性をリスペクトしない男性のために、高給を得られる職を投げうってまで、子供を産んで専業主婦になることに疑問を持つ女性もいるのだろう」
――ダイアモンドさんの著書「セックスはなぜ楽しいか」を今こそ読んだ方がいいかもしれない。
「あの本は多くの言語に訳された。ブラジルやフィンランドなどで売られている本のカバーはとても刺激的なものだったのに、日本のカバーはおとなしいもので、ちょっと残念だった。そういうところにも文化が出ているといえるだろう」
――日本では、高齢化問題に対し、公的な介護保険など国の制度で対応しようとしている。しかしお金だけで解決するのは難しいのではないか。つい最近まで日本にも隣近所や地域のコミュニティーで高齢者を支えるシステムがあったわけだが。
「それは伝統的社会の解決法だ。ニューギニアやアフリカなどの伝統的社会では、人々は引っ越しなどの移動はしない。生まれ育ったところで死ぬのが一般的だ。しかし、日本や欧米諸国では、人々は頻繁に引っ越しするなど居住場所を変えるようになっている。コミュニティーが崩壊しており、昔から知っている幼なじみや隣近所の人に頼れなくなっている」
――地域に頼れないということはつまり、公的なシステムが不可欠ということか。
「そうだ。高齢化などの問題に対応するため、現代社会は政府を必要としている。ニューギニアやアフリカなどの伝統的社会は、大抵40~100人のコミュニティーだ。何かを決めるときは全員が意見を言い、話し合って決められる。しかし、1000人以上のコミュニティーになると、全員の意見をまとめることは不可能だ。物事を決めるリーダーが必要で、それを遂行する政府が必要になってくる」
「『昨日までの世界』に各国から、論評が寄せられている。その中におもしろいコメントがあった。スロバキア人の学者からだったが『ダイアモンドさんは政府の存在を擁護し、無政府状態を信用していない』と書いてあった。私が無政府状態を信用しない理由は、無政府状態では1000人以上の社会を維持することは不可能だと知っているからだ」
――「昨日までの世界」では高齢者問題の根底に、年を取ることに対する嫌悪感や、若さをことさらに尊ぶ価値観があると指摘している。もっと年を取ることに前向きになった方がいい。
「私は現在75歳だが、人生のピークは70歳だったと断言できる。70歳を過ぎると、目や耳の問題が出てきてしまったが、今でもニューギニアの山を登ったり、本を書いたりしているので、人生は楽しいといえる。医者だった私の父は93歳まで患者をみていた。私の友人の学者は100歳で最後の本を出版した。私にとって70歳は65歳よりすばらしく、65歳は40歳より良いものだった」
年を取ることを楽しもう
――どうしたら、日本人も前向きに年を取れるようになるのか。
「個人的な努力と、社会的な努力の両面が必要だ。個人の努力として、たとえば70歳の人であれば『平均寿命が86歳だから、あと16年もすばらしい時間がある。そのために頑張ろう』と自分自身に言い聞かせることができる。社会的な努力としては、定年退職制を廃止し、好きなだけ働かせてあげられる社会を構築することで高齢者を支援できるだろう」
――米国では若さを保つため、成長ホルモンを用いるなどのアンチエイジングをしている人が多く、過剰投与による事故も問題になっているとか。ダイアモンドさんにはしかし、アンチエイジングは必要なさそうだ。
「米国社会は、若さへの信仰心が強い。若く見せるために脂肪吸引をしたり、顔のシワを取るなどしたりする人も多くいる。そうまでして若くありたい理由として、経済上、健康上、2つの側面がある。米国では若い人、若く見える人のほうが良い職に就きやすい。また病院では2人の人間が、同時に同じような症状で病院にかかった場合、若い人を優先して診る仕組みになっている。先の短い人より長い人をまず治そう、と」
――膨大な分野の知見をもとに、歴史を切りさばくダイアモンドさんの仕事ぶりは年齢を感じさせない。これだけ多分野に視野を広げている学者は少ないが、どうやってそこに行き着いたのか。
「様々なことに興味を持って研究を進めていった結果だ。しかし、私のような学者は世界的にみても珍しい。日本に限らず、欧米でも複数の専門分野を持つことは難しく、米国で研究している私も達成するのは困難だった」
――現在は研究分野の専門化が進んでいる。学問を横断的にみることがますます重要になる。
「その通りだ。様々な分野について知っているほうが、1つの問題についてより深く研究することができる。例えば、日本について研究している学者がいるとしたら、日本だけを見て『日本はとても特徴のある国だ』と言うかもしれない。しかし、私が日本を見る場合はユーラシア大陸全体を見ることから始め、『日本はそんなにユニークではない』と言うだろう。そして世界には2つの『日本』があることに気がつく」
「ユーラシア大陸の東には日本、西にはイギリスがある。どちらも島国で、同じようなサイズだ。そして、近くの大陸からほどよい距離に位置している。しかし、条件は同じようなのに、日本とイギリスの歴史はかなり異なる。過去2000年の間に、イギリスは4回大陸から攻められたにもかかわらず、日本は1度も攻められていない(元寇の例などを除き)」
「なぜ、似ているのにこんなにも違う歴史を歩んだのか。よく見てみると、小さな違いが見えてくる。日本は少しばかりイギリスより面積が大きく、イギリスより少しばかり大陸から離れている。この小さな違いが、日本をより自己完結型の歴史を歩ませる理由となったのだろう。こうした疑問や違いは、狭い分野だけを見ていては気がつかず、大きな視野で物事を捉えないと発見できない」
※インタビュー後記※
健康診断を受けると、ここが危ない、あそこも危ないと"ダメ出し"をされ、それだけで具合が悪くなる。健康診断だから、悪いところを指摘されて当然なのだが、毎回思うのは「一カ所でも褒めてくれたら……」ということだ。
「歯並びがいいですねえ」でも「年の割に髪の毛につやがあるね」でもいい。そうすれば、今日も頑張るぞという勇気が出てくるかもしれない。一定年齢以上の人に対しては、くたびれながらも1度も死なずにやってきたという"実績"への評価がまずあっていいのでは、と思うのだ。
そんな「プラス査定あり」の健康診断を、人類全体に施してくれているのが、今回刊行された「昨日までの世界 文明の源流と人類の未来」といえるだろう。
この本の基本的なスタンスはこうだ。
――人類が国家を建設するようになって5400年、工業化社会に暮らすようになって200年。文明化された生活は何万年という人類の歴史からすると、昨日、今日始まったに過ぎない。人類が長いこと過ごした、近代的文明を持たない「昨日までの生活」は飢えてばかりで、害獣や他の部族への恐怖に満ちたものだったかもしれないが、それでもちゃんと命をつないできたではないか――。
ダイアモンドさんは決して原始のころがユートピアだったとはいわないと前置きしながらも、こうした人類の"実績"に基づき、我々はもっと自信を持っていいはずだ、と呼びかける。何の利器ももたなかったころの人類のしぶとさにもう一度学ぼう、と訴える。
日本の体罰問題を尋ねたときの「人類はもう長いこと体罰が有効かどうか試してきたので、もう実験をする必要はない」との答えに、ハッとした。
教育問題から環境問題まで、現代社会のトラブルは過去の人類が経験しなかった最新のトラブルで、それを解決できるのは最新の技術を擁する最新の人類だけだと我々は思い込んでいる。しかし、それは人類の"現役組"が陥りがちな、おごった考え方かもしれないと思った。
(聞き手は電子版ライフ編集長 篠山正幸)
「昨日までの世界――文明の源流と人類の未来(上・下)」
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