漫画界にジョーはいなくなった ちばてつやさんの仕事観
昔は「漫画家=貧乏」、今の若者には「かっこいい」存在
――文星芸術大学(宇都宮市)の教授として学生に漫画を教えられています。
「大学の漫画専攻の学生は大学院生をいれて110人くらい。漫画家になるしかないと頑張っている子、ストーリーは作れないのでイラストレーターをめざそうという子、いろいろです。すでに雑誌で連載を持っている学生もいますし、プロになれないとあきらめて就職を考える子もいる。この世界は厳しいと皆わかってくるんです。学生にはやる気を出して描きたい世界を見つけてほしい。ですから課題として出版社への漫画の持ち込みをやらせるなど、あれこれ試しています」
――漫画家になることへの憧れは強いのですか。
「最近の若い人たちにとって漫画家という職業は『かっこいい』もの。雑誌でスポーツカーを何台も持っているような漫画家の優雅な生活が紹介されているからなのでしょうか。どのくらいもうかりますか、海外旅行にどのくらい行けますか、なんて聞かれます。昔は漫画家=貧乏。なりたい、なんていうと親が大変心配しました。作者が描いた自画像の衣服やベレー帽はつぎあてしたものばかりでしたよ」
最近の漫画家は週休2日、仕事をきちんと管理
――漫画界の働き方も様変わりしています。
「考えようによっては漫画家は毎日が日曜日ですが、売れればずーっと時間に追われる。僕の時代は発表する雑誌自体が少なくて、つまらないものを描いたらあっという間にクビ。他の人に仕事を奪われてしまうから寿命は短かった。だから仕事はすべて引き受けました。体力の続く限り僕自身も眠らず起きっぱなしでしたし、10人ほどいたアシスタントもそうしていました」
「ところがいま現役で活躍している30代~40代の人気漫画家たちは自分ならばこのくらいのペースで仕事ができる、これ以上だとだめ、ときちんと把握しており、無理な仕事は引き受けません。週刊誌が無理なら隔週でといいますし、土日は自分もアシスタントもきっちり休めるように管理している。ある時期は取材の時間にあてたり、海外旅行にいったりして人生を楽しむ。僕たちのころとは大違いです」
漫画家と顔を合わせず仕事をするアシスタントも
――デジタルデータでやり取りができることなども影響していますか。
「原稿用紙を使うことなく最初からパソコンで描き、そのままブログで発信することだってできる。『きょうの猫村さん』(ほしよりこ作)のように、ブログで毎日日記のように描いていったものが評判になり本を出したケースもあります」
「アシスタントの仕事も変わりました。僕が忙しかったころは、弟子になりたいからといきなり布団を送ってきたり、断っても近所に住んで空きがでるのを待っていたりする人がいたものです。今は師弟関係というよりスタジオのようなところに登録して、どの先生の仕事でも引き受けますと待機している人たちがいる。データで原稿を送ることができますから、先生本人とは全く顔を合わせることなく自宅で手伝いができるのです。かつてのアシスタントはいつか独立を夢見る人ばかりでしたが、いまはアシスタントのままで同じ先生についている人も多い」
創作は大変、苦しみだしたらプロになりかかっている
――2011年にデビュー55周年を迎えられました。
「漫画を受け入れるジャンルが広がり、私のような年齢になっても仕事が続けられます。漫画界での寿命が伸びた。そのうちシルバーコミックみたいのものが登場するかもしれません。団塊世代が漫画を楽しむ世代ですからね」
「好きな言葉に『急がず、休まず』があります。私は昔から仕事が遅く編集の人に叱られたものです。同じ所を何度もいじくり回して、新鮮ないい材料を腐らせてしまう、と。でも、自分としてはもう少し面白くなるはず、と演出をあれこれ考えているとよくなることが多い。一歩一歩の歩幅は狭いのですが、休むことなく歩き続ける。そういう歩き方をしないと自分らしいいい仕事ができません」
「漫画は苦しいですよ。人を楽しませられなければだめなんですから。自分が思いついた話が読者に伝わるか、喜んでくれるか、感動してくれるか、と懸命に考えながらコマを割ったり、演出したり、キャラクターを工夫したりする。描いて楽しいはずが途端に苦しくなってくるわけ。だから学生にいうのです。苦しみだしたらプロになりかかっているんだよ、と」
サラリーマンは憧れだった
――漫画家の他に就きたかった仕事はありましたか。
「就業時間が決まっていて、終われば自分の時間というサラリーマンは憧れでしたね。何をやってもうまくいかず劣等感を持っていた時、使ってくれるところがあったらどんな仕事でもやろうと考えた。商店の小僧さんのような、だれかについて仕事を教わる職業がイメージでした」
「漫画家のプロダクションも弟子に仕事を教えながら経営する、小さな商店みたいなものです。1966年にプロダクションを設立する前、最初は母と弟、そのうち漫画好きの子たちに手伝ってもらうようになった。忙しくなるとアシスタントを公募しました。漫画家はアシスタントにお金を払い、徹夜だと1日5回食べさせる。仮眠室や仕事場を作るための資金が必要で、税金は個人にかかってきます。仕事をすればするほど赤字になった時期があり、編集者から会社にすることをすすめられました」
たくさんの人を笑わせ、失望した人を救うことができる
「何をやってもうまくできなかった私ですが漫画だけが認められた。自分が読んでも感動するし、描いていても面白い。漫画にすごく感謝しています。映画でいえば監督をやりながらカメラを回し、大道具、小道具をそろえて演出もする。全部一人で決められ、大ヒットすれば単行本になって印税が入り、海外で翻訳されて、もしかしたらハリウッドから映画にしたいと話がくるかもしれない。いろんな形で花が咲く。苦労も多いけれどやりがいのある仕事だよ、と学生にも話しています。漫画が大好きです」
――世界中で漫画が注目されるようになりました。
「漫画という表現方法はすごいパワーを秘めています。たくさんの人を笑わせ、失望した人を救うことができる。そういう素地をつくってくださった先輩たちがいて、私たち世代が次の世代につないでいるところ。漫画ができてまだ1世紀もたっていません。黎明(れいめい)期、試されている時期なんです。インターネット時代になり、ひょろっと目だけを動かすといった、さまざまな可能性が出てきました。新しい時代に合う表現方法が見つかって、漫画が世界中に愛される文化の一つになっていけばいいと思います」
(聞き手はWAVE.1編集長松本和佳)
「WAVE.1(ウェイブワン)」は今、話題となっている一つのテーマを多面的に掘り下げ、記事と写真で紹介する、日本経済新聞朝刊の特集ページです。2カ月に1回のペースで掲載しており、次号は2013年3月21日に掲載予定です。