親の介護で未来を奪われる若者 ある20代の場合
晩産化・ひとり親…増加の兆し
父が50代、若年性認知症に
「帰ってきた父は玄関が分からず、鍵のかかっている勝手口をこじあけようとしていた。しゃべる言葉も意味不明。父は病気なのだと実感し、守る覚悟ができた」
東京都内で家庭教師をしている山口尚成さん(29、仮名)は、23歳だった2008年の出来事を振り返る。50代後半だった父親は若年性の認知症で、発症から3年たっていた。介護にすべてを費やすと覚悟できたのは、その時だった。
電化製品の設計をする会社員だった父が、05年に認知症を発症した当時、尚成さんは大学生だった。物忘れがひどくなった父は休職になり母親が働きながら、介護をすることに。それでも当初は、学生生活に支障はなかった。
システムエンジニアの夢は断念
だが、1年、2年と病気は進行。父は言葉をかけても反応しなくなり、直前の物事も記憶できなくなった。つきっきりで介護せざるをえず、自然と仕事がある母親ではなく尚成さんの出番が増える。
ちょうど大学4年の就職活動の時期だった。友人たちが熱心に企業訪問をしているのに尚成さんはできない。「なぜ自分だけ……」。しかも同居の祖母まで認知症となり介護の負担はさらに増す。
「システムエンジニアになりたかったが、あきらめるしかなかった」
子が親の介護をするのは「当然」。だが、20代前半の若者が就職を断念するなど、急変する自分の運命を受け入れるのは簡単ではなかったはずだ。
壮絶な日々 おむつ交換で始まる1日
介護は壮絶を極めた。1日の始まりは父が起床する朝6時。おむつ交換をして朝食。父は半分くらいまで食べるが、残りは尚成さんか母親が口元まで運ぶ。それを一日に3回繰り返す。
朝食後はデイサービスに連れて行くか、家で見守る。ふらふら歩き回る父を、割れ物がある台所などに近づかないように、付いていなければならない。厄介だったのは、おむつの交換だ。交換がうまくいかないと爪を立て、殴りかかってきた。突然、祖母と怒鳴り合いをすることも。父はまだ若く体力があるので、何かあった時にやめさせるのは簡単ではなかった。
そのうち父は要介護5となり、なにもかも介助しなければ生活できなくなった。排せつ、食事、入浴……。夜、眠ろうとしても不安からなかなか寝付けない。それでも朝6時には起きなければならない。常に睡眠不足で発散できないイライラを抱えていた。
時折、既に就職した学生時代の友人たちに会った時は、自らを「ハイパー家事手伝い」と称し、苦笑した。
父との結びつきは強まった
もっとも、よかったこともある。実は感情を表に出さない父親があまり好きではなかった。ところが、認知症になってから好きになったという。気分がいい時は純粋に喜び、逆の場合は混じり気のない怒った顔に。家族に素直に寄りかかる父との結びつきは確かに強まったと感じる。
「いろいろなところがそぎ落とされ、父の深い部分だけが残っている気がした。いとおしく思えた。自分の選択は間違っていなかったと思う」
13年12月21日、父は62歳で亡くなり、介護の日々は突然終わった。発症から8年、尚成さんは28歳になっていた。
「あれから半年。気持ちの整理がついたのか、ついていないのか、まだ分からない」
今さら会社勤めができるのか
尚成さんは今、週2回、数学を近所の子どもに教えて、収入を得ている。だが、それだけで生きていくことはできない。自分は何ができ、何がしたいのか。結婚をし、家族を持つのか。就職をあきらめて5年。今さら会社勤めができるのか不安は尽きない。
一つの道は、介護の日々を生かすこと。尚成さんは父と祖母の成年後見人となり、財産を管理してきた。介護保険など様々なサポートを受ける手続きにも精通している。
最近、地元の若年性認知症の患者家族会で、事務局の手伝いを始めた。
「僕と同じような境遇の若者をサポートしたい。それが進むべき道かもしれない」
自分と同じ苦労を味わわせない。若者介護で失ったものを取り返す歩みが始まろうとしている。
◇ ◇
正確な人数は不明
親や祖父母の介護を担う若者は増加が予想されるものの、公的調査がなく正確な実態は定かでない。ただ、「国民生活基礎調査」(2010年、厚生労働省)の、介護が必要な人と同居する介護者(介護をする人)の年代別割合が参考になる。介護者全体では40歳未満は2.9%だが、介護が必要な人が40~64歳だと、介護者が40歳未満のケースは14.5%に跳ね上がる。
若者が介護に向きあわざるを得ない予兆もある。ひとり親家庭の増加はその一つ。2011年の推計で146万世帯おり、20年ほどで1.5倍に増えた。祖父母が倒れた場合、働き手のひとり親が介護できず、子どもが担うことも増えそうだ。また35歳以上の初産が増えており、今後、親が50代で倒れ10~20代の子が介護者になるケースが身近になると想定できる。若者介護は決してひとごとではない。