永田町アンプラグド なぜ「野党総裁」は首相になれないのか
永田町アンプラグド
自民党の谷垣禎一総裁は河野洋平氏に続き、首相になれず、再選への挑戦さえかなわなかった2人目の党首となった。谷垣、河野両氏には首相になれない構造的な理由と、政治家としての問題の2つも共通している。
「味方つくる努力を怠った」
冷戦の終結後、政権与党であることが存在理由である自民党にとって、野党のトップ争いは議員にとって何の魅力もない。野党に転落した直後の喪失感、脱力感もあいまって、野党代表はそれほどの競争もなくすんなり決まる。与党の時とは違って、予算配分やポストでもめることもそれほどなく、党運営は比較的、円滑に進む。これが過剰な自信につながりやすい。
だが、首相の座が近いとなると、党内の空気は一変する。総裁を狙う実力者だけでなく、周辺の議員も目の色がかわる。谷垣氏も河野氏も「政権を倒した」と野党の実績を強調したが、党内は「全員で勝ち取った成果」「与党の敵失もあった」とみる。野党と与党では、党首選びへの議員の力の入れ方がまるで違うことを、なかなか野党総裁は肌で理解できない。
それだけに、遅まきながら劣勢に追い込まれたと自覚すると、今度は唐突な行動に走る。河野氏は当時の村山富市首相に頼み込んで内閣改造してもらい、党役員人事で最大派閥の三塚派を取り込んだ。谷垣氏も出身派閥を頼った。「脱派閥」で総裁に選ばれていながら、派閥に依存する矛盾だ。
裏返せば、ほかに支持勢力がいないことを意味する。
河野氏は2年間、谷垣氏は3年間にわたった総裁時代、党内各層の議員と親しく懇談したとの話は聞かない。「味方をつくる努力をあまりにも怠っていた」との評は、2人に共通する。ベテランだけでなく、派閥に属しない中堅・若手からも「谷垣氏をなんとしても支持する」との声は聞こえてこなかった。「人柄がよいプリンス」と党の外ではみられていても「実績があるから支持されて当然」との慢心が、党内では反発を買ったといえる。
推薦人20人すら集められず
その結果、再選をかけた総裁選への出馬もできない状況になる。1995年、当時は第4派閥だった小渕派から出馬した橋本龍太郎氏を支えた梶山静六氏は派閥連合ではなく、派閥横断型の支持グループを年代別に2つつくった。「完璧にやり過ぎた。このままだと河野は降りるかもしれない。盛り上げる機運を失う」と梶山氏が危惧した通り、河野氏は出馬を断念した。谷垣氏も石原伸晃幹事長と「どちらが出る、出ない」の押し問答を何度も繰り返した果てに「執行部から2人が出るのはよくない」との理由で出馬をとりやめた。
各種選挙にあたって多数を制するために調整や工作を進める政治の基本からすれば、トップなのに20人の議員が集められないのは、致命的だ。
だが野党とはいえ、自民党総裁の交代は政界全体に影響を与える。
参院選の不振が原因だった河野氏から橋本氏への交代は、今度は参院選で自民党を下した新進党で小沢一郎党首を誕生させ、「小沢党首」は橋本内閣につながった。今回の民主党代表選では野田佳彦首相の再選が濃厚だが、3党合意を交わした相手である谷垣氏の不戦敗による退場は、ただでさえ弱体化している野田政権の基盤に影響を与えるのは間違いない。
前回の総裁不出馬は、自民党を中心とする本格的な連立政権時代の幕開けだった。次期衆院選では新党「日本維新の会」が旋風を起こすとの予測が多い。かつて「総理総裁」と呼ばれた自民党総裁が、次の首相になるとも限らない。(丸谷浩史)