iPS細胞、実用化されると何が変わるの?
イチ子お姉さん 心臓(しんぞう)など体の様々(さまざま)な部分に変身(へんしん)できる人工的(じんこうてき)に作った細胞なの。病気の内臓の代わりを作ったり、薬の開発にも役立ったりするわ。
人工的に臓器作る一歩
からすけ そもそも細胞って、どういうものなの?
イチ子 私たちの体を作っているとても小さな粒(つぶ)のことよ。目も、耳も、心臓も、体の全部が実は細胞からできているの。1つあたりの大きさは1センチメートルの千分の1くらいだから、特殊(とくしゅ)な顕微鏡(けんびきょう)でないと見られないわ。一人の体には約60兆個(ちょうこ)という、途方(とほう)もない数の細胞が詰(つ)まっているのよ。
からすけ すごいたくさん! ところで、目と心臓は全然(ぜんぜん)役目が違(ちが)うのに同じ細胞でできているのかな?
イチ子 いいえ。細胞にも色々な役割(やくわり)があって、目は目を作る細胞、心臓は心臓を作る細胞でできているの。人の体には約200種類(しゅるい)の細胞があるのよ。
からすけ 細胞の役割は始めから決まっているの?
イチ子 人の命は、お母さんのおなかの中で1つの細胞から始まるの。そのときは細胞の役目はまだ決まっていないわ。その後、細胞は2つ、4つとどんどん分かれて増(ふ)え、しばらくすると目の細胞、骨(ほね)の細胞といったように役割の決まった細胞になるの。一度、細胞の役割が決まったら、いくら分かれても他の細胞にはなれないのよ。
からすけ でも、iPS細胞は色々な種類の細胞に変身するって言ったよね。
イチ子 そうよ。皮膚(ひふ)や血からとった細胞に、細胞の設計図(せっけいず)の役目を果(は)たす遺伝子(いでんし)を入れると、色々な細胞に変身できるiPS細胞になることが発見されたの。京都大学の山中伸弥教授(やまなかしんやきょうじゅ)が2006年にネズミの実験(じっけん)で成功(せいこう)して、07年には人間の体からiPS細胞を作ったと発表したのよ。
からすけ すごい発見だね。でもなんでiだけ小文字なの?
イチ子 山中教授が、その当時人気だった携帯(けいたい)音楽プレーヤー「iPod」をまねて最初(さいしょ)のiを小文字にしたのよ。
からすけ iPS細胞が発見されて何が変わるの?
イチ子 一番大きいのは、心臓や目など体の一部を人間の手で作れるようになることね。今まで心臓や肝臓(かんぞう)など内臓の具合が悪い場合に、その部分を他の人から移植(いしょく)する方法があったの。でも、人からもらった内臓が自分の体になじまず、苦しむ人が多かったの。
からすけ 自分の体から作ったiPS細胞で内臓を作れば、体になじみやすいんだね。
イチ子 そう。まだ心臓や肝臓などを丸ごと作り出すことには成功していないけど、目の難しい病気を治すために、目の奥にある膜(まく)をiPS細胞から作る研究が進んでいるそうよ。
薬の副作用、調べやすく
からすけ 薬の開発に役立つとも言ってたね。
イチ子 そう。例えば心臓の病気に効(き)く新しい薬を開発するときは、心臓の病気を持っている人のiPS細胞から心臓の一部を作り出して、薬に効果(こうか)があるのか、副作用(ふくさよう)と呼(よ)ばれる体への悪い影響(えいきょう)がないかなどをしっかりチェックできるようになったの。この方法を使って、体が思うように動かなくなる神経(しんけい)の病気を治す薬の候補(こうほ)を見つけたと最近話題になったわ。
からすけ ところで、お父さんがES細胞というiPS細胞に似(に)たものがあるよって言ってたけど、何が違うのかな?
イチ子 いい質問(しつもん)ね。ES細胞も、色々な種類の細胞に変身できる便利(べんり)な細胞なの。iPS細胞より早く発見されて、アメリカやヨーロッパでは日本より研究が進んでいるわ。でもね、ES細胞は、やがて赤ちゃんになる受精卵(じゅせいらん)をお母さんのおなかから取り出して作るため、利用(りよう)して良いかどうか国によって意見が分かれているの。
からすけ 難しい問題だね。iPS細胞には問題はないの?
イチ子 よくいわれるのが「がん」になる可能性(かのうせい)よ。iPS細胞を作る途中(とちゅう)で、もともとの細胞にはない遺伝子を加(くわ)えるでしょ。それによって細胞が正常に働かないがん細胞になる危険性があるの。
からすけ だから、研究者の人は、より安全な細胞を作るために努力(どりょく)してるんだね。
イチ子 そうね。病気の人にすぐに治療(ちりょう)をするために、iPS細胞をあらかじめ保存(ほぞん)する「iPSバンク」がもうすぐ誕生するといわれているし、様々な分野で研究が進んでいるの。iPS細胞のおかげで、医療が大きく進歩するといいわね。
研究環境、日米で格差
山中教授が研究者として活躍(かつやく)する契機(けいき)をつくったのは、アメリカのグラッドストーン研究所でした。この研究所は、まだ無名だった山中教授を、その熱心(ねっしん)さを評価(ひょうか)して採用(さいよう)しました。アメリカの研究所は、豊富(ほうふ)な資金(しきん)があり、研究に集中できる環境(かんきょう)にあるといわれています。その中で山中教授は業績(ぎょうせき)を残(のこ)し、現在(げんざい)の成功の基盤(きばん)を作りました。しかし日本に戻(もど)ってみると、研究環境のひどさに絶望(ぜつぼう)したそうです。
山中教授は、ネズミのiPS細胞を作り出すことに成功し、日本でも恵(めぐ)まれた研究環境を得(え)ることができましたが、それでも、次にヒトのiPS細胞を作ろうとしたときに、アメリカの研究チームに追(お)い抜(ぬ)かれるのではないか、と思ったそうです。山中教授は、アメリカの科学研究における資金の豊富さ、研究環境の素晴らしさ、世界各地から優(すぐ)れた研究者を招(まね)いている人材(じんざい)の豊富さを実感していたからでしょう。日本の科学研究が、今後も発展(はってん)していくかどうかは、いかに日本の研究機関(きかん)が魅力的であるか、にかかっています。
[日本経済新聞朝刊ニュースクール2012年8月11日付]