質量の98%は「南部氏の理論」で説明 ヒッグス粒子のヒントにも
「ヒッグス粒子」発見(3)
「物質にはなぜ質量があるのか」。この根源的な謎の解明に最初に道筋をつけたのが米シカゴ大学の南部陽一郎名誉教授だ。
万物の質量の起源とされるヒッグス粒子だが、実は同粒子で生まれる質量は物質全体の2%にすぎない。物質を分子、原子、原子核、陽子や中性子と細かく分割していくと、最後にはクォークと呼ぶ素粒子に行き着く。6種類あるクォークは宇宙誕生の大爆発であるビッグバンの直後、みな光の速さで飛び回っていた。宇宙が冷えてくると、クォークにブレーキをかける力が生じ、質量を獲得した。これはヒッグス粒子の働きによるものだ。
物質の原子核を構成する陽子や中性子はクォークが3つ結びついている。陽子はアップクォークが2個とダウンクォークが1個、中性子はダウンクォーク2個とアップクォーク1個でできている。しかしクォーク3個分の質量は陽子や中性子の質量のわずか2%にしかならない。他にも質量を生み出す仕組みが必要になる。それを説明するのが南部理論だ。
質量は粒子の「動きにくさ」で説明される。ヒッグス粒子は宇宙誕生時に水蒸気のように真空を満たしていたが、1000億分の1秒後に水や氷のような状態に変化した。「相転移」と呼ぶ現象で、光の速さで動いていた素粒子はヒッグス粒子と衝突して抵抗を受けるようになった。この動きにくさが質量として観測される。
2008年のノーベル物理学賞を受賞した南部理論によると、相転移が起こると、クォークとその反粒子である反クォークが対になり、ヒッグス粒子と同じように空間を満たしたとされる。陽子や中性子の中で3個のクォークはゴムで連結されたような状態で激しく動き回っている。それがクォークと反クォークの対で満たされた空間を進むときに、クォークと反クォークの対と衝突して動きにくくなる。この対がヒッグス粒子と同じ役目を果たすことで、残りの98%分の質量が生まれたとされる。「南部理論を別の表現で表したのがヒッグス粒子のメカニズムだ」と高エネルギー加速器研究機構の橋本省二教授は話す。
南部名誉教授がこの理論を考えたきっかけは超電導現象だった。ある物質を非常に低い温度に冷やすと電気抵抗がゼロになる。これは、電子が2つ対となって固まることで相転移を起こし、周囲の原子の電気的な影響を受けなくなるためだと説明される。
磁石にN極とS極が発生することも、同様のメカニズムで説明できる。磁石を形づくる個々の粒子には、それぞれ小さな磁石としての性質がある。熱く熱せられた状態では、小さな磁石はバラバラな向きを向いている。それが冷えてくると、相転移によって隣り合った磁石同士が同じ方向を向こうとするようになり、やがて全体の向きがそろって固定されて磁石になる。いずれもきっかけは対称性の自発的な破れだ。
南部名誉教授はこの考え方を素粒子の世界にも応用できることに気づいた。「電気抵抗がゼロ」になることと「真空中の抵抗によって質量が生じる」ことは正反対に見えるが、同じ考え方で説明できる。大阪大学の花垣和則准教授は「物性物理のアイデアを素粒子に当てはめようとしたことが驚き」と評価する。
南部名誉教授は1960年に論文を発表したものの、クォークのような素粒子が質量を持つようになったメカニズムには「自明の理だ」と研究を進めなかったという。「物理の予言者」と呼ばれた南部名誉教授らしいエピソードだが、弟子が代読した2008年12月のノーベル物理学賞の受賞講演では、そのことを後悔しているように思える一節がある。「後から考えれば、質量が生み出される一般的なメカニズムをもっと探求すべきだった」
(科学技術部次長 青木慎一)