建設業界は「動線」、百貨店は「導線」 ドウセンその違いは?
国語辞典は「導線=電線」
精選版日本国語大辞典(小学館)によれば動線は「建築物の内部、あるいはその周辺で、人や物などが移動する軌跡・方向などを記した線」、導線は「(1)電流を通すための導体の針金。導体には銅、アルミニウム、鉄などが用いられる。電線」。辞書的な意味では両者の違いははっきりしています(なお導線の(2)の意味として曲線に関する数学用語もあります)。「導線」に上記のような「動線」としての意味を認めた国語辞典も見当たりません。
専門用語のようにも感じられる言葉ですが、台所や浴室などをつなぐ「生活動線」「家事動線」(「生活導線」「家事導線」という表記では変です)を考えてみれば日常生活にも密接しています。この線の良しあしは建物の設計次第。同辞典に収録された最古の用例も1939年発行の「小住宅厨房の研究」にあり、建設業界発祥の用語とみてよさそうです。
ルーツの業界だけあって用法も古くからの伝統を守っています。大手総合建設会社は「みな動線を使っている。よほど何かを意図している場合を除いて導線は使わない」、業界団体も「導線はもともと電線という意味。時々動線と混ざって使われているのは混用ではないか」ときっぱり。建設業界では人の動きには動線、電線の配線などには導線と、どちらの用語も使用されるだけに、万が一ドウセンの意味を取り違えては一大事。両者の峻別(しゅんべつ)も納得できます。
専門用語集では「動線と同じ」
両者の違いについて触れた国語辞典がない以上、各種専門用語集の力を借りてみます。表の通り建築学、ショッピングセンター、流通、ロジスティクスといずれも掲載は「動線」のみ。「導線」を載せている数少ない用語集も解説は「動線」とほぼ同様で、動線との関係についての指摘もありません。
そこでインターネット上のホームページに目を転じると、佐川急便を傘下に持つSGホールディングスの物流子会社、佐川グローバルロジスティクス(東京・品川)は「物流用語集」で導線を「動線と同じ」と定義。動線を主見出しとした理由は「物流とは『物の流れ』。物が動いた線であり、作業者を動かす線である。(作業導線ではなく)作業動線という通り」との回答でした。
他には財団法人・日本ホテル教育センター(東京・中野)の「ホテル観光用語事典」も見出しは動線だけですが、「客動線のことを客を導くという意味から導線と表現する場合もある」と注記しています。注目すべきは「客を導く」という部分。というのも前出の大手総合建設会社が例外的に導線を使う可能性があると答えた「よほど何かを意図している場合」も、「客にその場所を通らせるために導く」ニュアンスを出すためというもの。「客を導く」意味に特化し、ほとんど「導線」を用いているのが百貨店業界です。
百貨店は「導線」が主流
日本百貨店協会(東京・中央)は「導線を使うのが共通認識。客を目的の商品に向かって導くための線だから」と説明します。国語辞典には電線の意味しか載っていないと知らされると、「慣用的に使われているので疑問を持たなかった」と驚いた様子。百貨店業務では建設業界と違って「電線」が話題になることは普通はありませんから、取り違えの心配がない分だけ「導線」が広く使われる下地が整っていたのでしょう。
導線は客を「導く」ことに重点を置いていることが「導」の字面から端的に表せる便利な表現であることに加え、動線と発音も一緒だったため、本来の意味とは異なる使われ方であるという意識がないまま業界内で一般化したとしても不思議はありません。動線は建物・施設を主体として「どう動いたか」を、導線は客を主体として「どう動かしたいか(=どう導きたいか)」を表すといえます。なお動線は客か従業員か、人か物かを問わず使えるのに対し、導線はどうやら対象を客に限定した用語のようです。
松屋銀座の「斜め導線」が契機?
同じ客商売でも、ホテル業界では客動線以外にも「(従業員の)サービス動線という使い方もする」(日本ホテル教育センター)のとは好対照です。ではなぜ? 百貨店は導線を「客を導く線」の意味で初めて使った業界だったため、業界用語としての影響力を持ったのかもしれません。
日本経済新聞社の記事データベース「日経テレコン21」で遡れる限りで最も古い例は、78年11月20日付日経流通新聞の記事。松屋銀座の課長が同年の改装の目玉について、「ひし形導線(略)。この新しい導線は、百貨店の四角いフロアを斜め方向に、ひし形に通路を設けるものです」と寄稿しています。同社では77年11月1日付社内報の米国研修報告で既に「導線」が使われていました。別の大手百貨店も「確認できる最古の用例は79年ごろ」で、時期的にほぼ一致します。日本百貨店協会の「80年代は米国流経営の影響を受けた時代。お客様に回遊していただく必要があるという概念が広がる過程で、導線という言葉が普及したのでは」との見解も裏付けになります。
協会が米国流経営の一例として挙げたのは、やはり「斜め導線」でした。松屋銀座でも業績に貢献し、一連の改装後に売上高の前年比2桁増が続いたそうです。この成功は大きなインパクトを持ち、前出の大手百貨店の前身が79年に「斜め導線」を採用したのをはじめ他の百貨店でもブームが起こります。業界で当初「斜め導線」として広まった言葉が流行し、やがて「導線」単独でも定着したのではないでしょうか。
ワープロ、コンビニ…転機は80年代か
80年代という時代は、百貨店経営が大きく変化を遂げたという総括だけでは済ませられません。佐川グローバルロジスティクスの担当者は私見と断った上でワープロの存在をキーワードに挙げます。なるほど78年に日本初の漢字ワープロが発売され、80年代に急速な普及を遂げました。ドウセンと打つと、動線・導線ともに変換候補に現れます。ここで「導」の字に引かれてしまい、本来「動線」とあるべきところに「導線」が取って代わる動きが百貨店業界以外にも広がっていった、との推測は説得力があります。
もう一つ、80年代といえばコンビニエンスストアを忘れることはできません。日本では70年代に誕生し、本格的な発展を始めたのが80年代だからです。コンビニでは店舗入り口に近い窓側に雑誌、右奥に酒・清涼飲料、真正面が弁当・総菜で、左手にレジという反時計回りの「客ドウセン」に沿うのが典型的構造です。このドウセンについて大手各社は「客の動く線の意味合いで動線」「客が動くというより、客を動かしているという意味で導線」「基本的には動線で、文脈・意図によっては導線も使う」とばらばら。一つだけ確かなのは、導線の支持が多数派にはならなかったという事実です。
何せコンビニは新しい流通業態として生まれただけに、百貨店業界の専門用語から受けた影響は小さかったと考えられます。むしろ動線を使ってきた建設業界や物流業界などの慣習を引き継いだ結果だと考えてみるのも面白いでしょう。「通常のコンビニは店舗の効率利用を重視して通路は縦横とも直線的になり、斜め通路はまずあり得ない。『斜め導線』が存在しない以上、『導線』の言葉自体が浸透する余地がなかった」――つまり動線と導線の懸け橋となった「斜めの線」が存在しなかった――そんな大胆な仮説だって成り立ちます。
(中川淳一)