東京マラソンを走った またトラブル、結果は…
編集委員 吉田誠一
大きなケガはしたことがないが、やはり50歳にもなると、いろいろトラブルがある。2月5日の別府大分マラソンではレース序盤に右腰が猛烈に痛くなった。
スタート直前に右ひざ外側の関節に痛み
そして26日の東京マラソンでは、スタート直前に右ひざ外側の関節がおかしくなった。2日前の最後のトレーニングのときにも軽く出ていた症状で、特に階段の上り下りがつらくなった。
重い痛みが出たのが、前泊した新宿のホテルからスタート地点に向かう途中の歩道橋。「これで走れるんだろうか」と私は一気に暗くなった。
別大からのインターバルがわずか3週間。当然、調整はうまくいっていない。疲労が抜けずに悩んでいた。もしかすると私の心の奥底に、レースを回避したいという思いが隠れていたのかもしれない。だから、脳がひざに痛みを起こして、「やめておけば?」とささやいたのかもしれない。
たぶん、脳と体は42.195キロも走りたくなかったのだろう。しかし、ここまできたらそういうわけにはいかない。無理してもらうしかない。
3時間13分台を目標に
3時間16分13秒(グロスタイム)の自己ベストで走った別大だったが、腰痛がなければ3時間13分台で走れていたと思っていた。だから、今回の東京マラソンではそこまで狙ってみることにした。5キロを23分ちょうどで進んでみようとプランを立てた。
痛みというのは、走っているうちに薄れるもの。脳のいたずらによる場合は、特にそうだ。そう信じて走り始めた。
まずは、いつものように楽に走れるフォームを探る。腰の位置、着地するポイント、前傾の具合を正していく作業に没頭することで、意識が痛むひざから離れていった。5キロを過ぎたあたりで、痛みは気にならなくなった。
しかし、「どこまでもつのだろうか」という不安があるから、気持ちは明るくならない。東京マラソンを楽しもうという余裕はとても持てなかった。
10キロでレインコートを脱ぐと快調に
寒さをしのぐために着ていた薄いビニールのレインコートを10キロで脱いだ。脱ぐのを手伝ってくれたボランティアのおばさんに、「ここから本気でいきます」と宣言し、笑いを誘って再スタート。余計なものを捨てたことで体が軽くなり、走りにキレが出たような気がする。
東京マラソンはスタートの25分前までにスタート・ブロックに並ばされる。寒い時期の開催だというのに、セレモニーを含めてスタートまでの待機時間が長いから体が冷える。だから余計なものを着てスタートするランナーが多いのだ。その点は参加者に優しくない。
というわけで、私は10キロ地点で気持ちを新たにし、歩を進めた。10キロから20キロまでは軽快に走った。「別大のときより楽なんじゃないか」という感触すらあった。
22キロでオーバーペースのつけ
しかし、ですよ。いつものように、「しかし」なわけです。マラソン経験者なら、わかるはずです。この「しかし」を。
私は10~20キロを快調に走った。「これはまた、自己ベストを出せちゃいますねえ」と思った。3時間13分台でいけるかもしれないと思った。しかし、もう何度も書いてきたように、マラソンはそんなに甘いものではありません。
22キロを過ぎると、脚が重くなり始めた。知らず知らずのうちに10~15キロ、15~20キロをともに22分28秒で走ってしまっている。これって、ちょっと本気になりすぎでしょ。いわゆるオーバーペースのつけが22キロで早くも出たのかもしれない。
銀座通り、つらかった。水天宮前、つらかった。雷門前、つらかった。また銀座通り、つらかった。それでも簡単にペースダウンしなかったのは、ある程度、力がついてきて、このところ粘るレースを繰り返してきたからかもしれない。フォームを正し続けたからかもしれない。
「粘れ」と自分に言い聞かせる
わずかずつペースダウンし、30~35キロは23分32秒まで落ちたが、まだ及第点のうちだ。次の5キロは24分13秒。ここで粘りきれるかどうかで、3時間15分を切れるかどうかが決まるというのはわかっていた。「粘れ」と自分に言い聞かせた。
「ここまで頑張ってきて、ずるずると後退してしまうんですか?」「それでいいんですか?」と何度も自分に問いかけた。
いやー、つらかった。ぎりぎりのところで自分と戦い続けたが、もう脚がパンパンでどうにもならなくなった。38キロあたりで「ずるずる後退していいんですか?」と自分に問いかけると、心で「それでもいいです」と力なく答えていた。
記録は3時間16分01秒
何度も時計を確かめたが、もうこのころは、どのくらいのタイムでゴールできるのかよくわからなくなっていた。とにかくゴールして楽になりたいと願い続けた。
そしてフィニッシュ。結果はネットタイム(スタートラインを通過してからのタイム)で3時間16分01秒。これがまた微妙なタイムだった。
5日の別府大分毎日マラソンはグロスタイム(号砲が鳴ってからのタイム)で3時間16分13秒の自己ベスト。別大ではネットタイムが記録として出ないが、自分の時計で計ったタイムは3時間15分53秒だった。
東京で、そのタイムは上回れなかった。今回の3時間16分01秒は公式のネットタイムの"自己ベスト"になるが、これでは喜べない。
あと10秒早くゴールして、完全な自己ベストを出しておけばよかった。それができないところに私の甘さがある。
振り返ってみると、やはり別大から3週間という短いインターバルが響いた。2007年に2週連続フルマラソンを走り、ともに自己ベストを出したことがあるが、3時間15分を狙うレベルになると、それは難しい。
肩の力を抜ければいいのだが…
今シーズンは昨年9月のベルリン、11月のつくば、そして2月に2レースと計4度もフルマラソンを走っている。心が擦り切れかげんなのは、レース前に感じていた。
今回、14位と惨敗した川内優輝選手(埼玉県庁)にも同じようなことが起こっていたのではないだろうか。練習の一環でレースに出るのは、市民ランナーなら普通のことだが、あれだけ注目されると「練習レース」とはいかず、毎回、本番のようになってしまったのではないだろうか。
私も毎回、自己ベストを狙い続けたことで、心が痛んできたような気がする。たぶん、もう少し、肩の力を抜いたほうがいいのだろう。しかし、それがなかなか難しい。困ったことに、いつも本気。それが性格なのだから仕方がない。