よくわかるG7世界シェアと勢力

2018年の主要7ヵ国(G7)による首脳会議(サミット)はカナダ・ケベック州のリゾート地、シャルルボワ開催となった。1975年の初会合から40年あまり、世界の政治・経済を主導してきたG7の今をみる。

サミット会場のホテル「フェアモント・ル・マノワール・リシュリュー」=ロイター

2018シャルルボワ・サミット、
参加首脳は?

カナダ

トルドー首相(46)

トルドー 首相(46) 議長

3回目出席

日本

安倍晋三(63)

安倍晋三 首相(63)

7回目出席

米国

トランプ大統領(71)

トランプ 大統領(71)

2回目出席

英国

メイ首相(61)

メイ 首相(61)

2回目出席

フランス

マクロン大統領(40)

マクロン 大統領(40)

2回目出席

ドイツ

メルケル首相(63)

メルケル 首相(63)

13回目出席

イタリア

コッタレリ首相(64)ロイター

コンテ 首相(53)

1回目出席

EU

トゥスクEU大統領(61)

トゥスクEU大統領 (61)

4回目出席

EU

ユンケル欧州委員長(63)

ユンケル 欧州委員長(63)

4回目出席

G7の世界シェア
5割切るGDP、人口は約1割

  • G5参加国
  • G20参加国・地域(EUを含む)
  • 他国

(注)国連の資料をもとに作成。左のスペースのG5、G7、G8の表記は、その年の主要国首脳会議(サミット)参加国数に合わせて変えている。国連が推計した各国・地域データから世界全体の名目GDPや人口を合計し、割合を算出した。EU(その他)は、EU加盟国のうちG7以外の国。

 「主要7カ国」を意味する「G7」(Group of Seven)。経済規模や人口で見た場合、世界の中でどれぐらいの「シェア」を占めているのか。

 G7メンバーは日本、米国、英国、フランス、ドイツ、イタリア、カナダ。名目GDPで見た場合、そのシェアはピークの1980年代後半に70%近くあり、名実ともに世界経済をリードしていた。しかし、G7のGDPシェアはそこから下降線をたどる。90年代~2000年前半までは60%台をキープしていたが、世界経済を揺るがした08年のリーマン・ショックを経て、現在は50%を切っている。人口シェアもピークの1970年代後半には約15%あったが、その後はゆるやかに減少し、2014年は約10%にまで下がった。

 一方、存在感を高めたのが新興国だ。1994年と2014年の20年間の変化を見ると、G7のGDPシェアが50%を切ったのに対し、「BRICS」各国(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)のGDPシェアは7.3%から21.9%に上がった。14年の世界シェアでは中国だけで全体の約13%を占めた。新興国の経済成長はここにきて鈍化している。そのシェアが大きくなっているだけに、世界経済の足かせになる懸念がある。

  • G7参加国
  • BRICS
  • その他

「高齢化」「働き手」で見るG7

  • 日本
  • G7参加国
  • BRICS

(注)国連の資料をもとに作成

 G7各国の高齢化率(全人口に占める65歳以上の割合)は1980年代までは緩やかに上昇していた。しかし、90年代に入り、高齢化のスピードが一気に速まり、医療・福祉など高齢者向けサービスを充実させたイギリス、ドイツ、フランス、イタリアが軒並み15%を超えた。日本は2000年に17%を突破した。さらに日本は2015年には高齢化率が25%を上回り、国民の4人に1人が高齢者という「超高齢化」時代に突入した。

 90年代以降、対照的に減少を始めたのが生産年齢人口比率(全人口に占める15歳~64歳の割合)だ。高齢化が進むと同時に若い労働力人口が減り、労働力の確保は経済成長を考えるうえで重要な課題になった。

 一方、人口急増が続く「BRICS」各国は、若い労働力を背景に高度経済成長期に突入。高齢化率は依然として低い水準を保ち、2000年代に入っても中国の6%、ブラジル5%、インド4%と、世代別の人口構成比はG7と大きく異なる。高い経済成長を支える生産年齢人口も2020年代ごろまで拡大が続くとみられる。ただし、高齢化の波はBRICS各国にも忍び寄り、2020年以降、高齢化率の上昇スピードが上がっていく見通しだ。

移り変わる「G」

 G5、G7、G8、G20――。「G」に続く数字は、その時代を映して移り変わってきた。「G」の主要会合は大きく分けて2つある。一つは主要国のトップが集まる首脳会議(サミット)。もう一つは、為替相場の安定など経済政策の協調の場として開く財務相・中央銀行総裁会議だ。石油ショックで世界経済が混乱した1973年、その対応を巡って日本、米国、英国、フランス、西ドイツの各財務相が集まった。これが「G5」の枠組みの始まりだ。

 その後、サミットにはイタリアとカナダが加わり「G7」体制ができる。東西冷戦後、ロシアがサミットに加わり「G8」の形ができたのは98年。しかし、2014年にはクリミアに侵攻したロシアの参加を停止させ、再び「G7」の枠組みに戻っている。

 アジア通貨危機後の1999年に開いたのが「G20」の財務相・中央銀行総裁会議だ。G7にロシア、アルゼンチン、オーストラリア、ブラジル、中国、インド、インドネシア、メキシコ、サウジアラビア、南アフリカ、韓国、トルコと欧州連合(EU)を加えた20カ国・地域の枠組みがG20。リーマン・ショックを受けて2008年からは首脳会議も開いている。

1970年代

石油危機後の
世界経済
回復探る

1973

フランスで日、米、英、仏、西独の5カ国財務相が会合を開く

「G5」の枠組みができる

1975

ランブイエ(仏)サミット

第1回の主要国首脳会議。参加国は日、米、英、仏、西独、伊の6カ国

1976

サンフアン(プエルトリコ)サミット

参加国にカナダが加わる

首脳会議で「G7」が確立

1979

東京サミット

日本で初開催。石油高騰抑制へ石油消費・輸入の数値目標を設定

1980年代

東西冷戦で続く
政治対立

1980

ベネチア(伊)サミット

ソ連のアフガン侵攻で首脳会議は政治に軸足

1986

東京サミット

日本で2回目の開催。為替レートの安定を目的とした先進工業国間の政策協調について合意

「G7」の財務相会議を創設

1990年代

冷戦終結、
グローバル化へ

1991

ロンドン(英)サミット

G7首脳とソ連のゴルバチョフ大統領が会談

1993

東京サミット

日本で3回目の開催。経済宣言は日本の黒字削減努力を促す内容に

1998

バーミンガム(英)サミット

参加国にロシアが加わる

首脳会議が「G8」

1999

G7にロシア、中国、韓国、インド、インドネシア、オーストラリア、トルコ、サウジアラビア、南アフリカ、メキシコ、ブラジル、アルゼンチン、EUを加えた財務相・中央銀行総裁会議を開く

財務相会議が「G20」

2000年〜

世界経済、
地球温暖化対策、
テロ対応などが
テーマに

2000

沖縄サミット

日本で4回目の開催。首脳宣言でIT(情報技術)の発展を促す

2008

洞爺湖サミット

日本で5回目の開催。2050年までに温暖化ガス半減を目標を掲げる

同年、リーマン・ショックで世界経済が急速に悪化

G20首脳会議を米ワシントンで開く

2014

ブリュッセル(ベルギー)サミット 

クリミア侵攻をしたロシアを排除

首脳会議が再び「G7」

2016

伊勢志摩サミット

日本で6回目の開催。閉幕後、オバマ米大統領が広島の平和記念公園を訪れた

2017

タオルミナ(伊)サミット

米英仏伊の4カ国首脳が交代

2018

シャルルボワ(加)サミット

制作
板津直快、藤川衛、古山和弘、結城立浩、清水明、清水正行、伊藤岳

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