春秋
――I was born さ。受身形だよ。正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだね――夏の宵、寺の境内を父と歩いていた少年が、身重の女性とすれ違ってふと抱いた不思議な感覚を、詩人の吉野弘さんが「I was born」という詩に残している。
▼受身形。だから子どもは守られなければならない。ざっくり言えば、子どもに関する法律のもとにはそんな考えがある。「女性が結婚中に身ごもった場合、子は夫の子と推定する」という民法の決まりもそう。母親は出産の事実があるから分かるとして、自動的に父を決めておけば、子と家庭の安定、平和を守れるからだ。
▼しかし、生物としての父親は別の男性であることが明らかで、子はその男性のもとにいて、男性も父として子を育てたいと望んでいる場合はどうだろう。きのうの最高裁判決は、それでも民法を優先せねばならぬと命じた。親子と認めるためには血のつながり以上に重んじるべき理屈があるといわれ、どこか釈然としない。
▼民法の規定は、父子の血のつながりを科学的に証明することが夢物語だった明治時代にできた。いまはDNA鑑定で血縁上の父を特定できる。その父が鑑定を振りかざして「受身形」の子をつねに幸せにできるとも限るまい。が、民法一本槍(やり)はいかにも古い。現実は千差万別だ。その現実を、判決は裁き切ったのだろうか。