最後の「箱根」は5位 渡辺監督が早大に残した精神
編集委員 鉄村和之
「ここが僕の原点。いつまでも忘れることはない」。今大会限りでの退任を表明していた早大の渡辺康幸監督は3日、最後の箱根駅伝の指揮を終えるとそう振り返った。集大成と位置づけて優勝を目標に掲げたが、総合5位。有終の美を飾れなかった監督は「指導力不足」と何度も口にした。それでも就任時には箱根でシード落ちしていたチームを2010年度には大学駅伝3冠(出雲、全日本、箱根)に導くなど伝統校を復活させた。現役時代に「花の2区」などで活躍したスターが12年間にわたる監督生活で残したものは……。
■3区までは想定内だったが…
「一番悔いが残るのは、今年ですかね」。04年からの監督生活でやり残したことを聞かれた渡辺監督は、少し考えてそう答えた。昨年11月の全日本大学駅伝を制して優勝候補筆頭だった駒大だが、箱根の山上りの5区で馬場翔大が低体温症のためにふらつくアクシデント。それだけに「どのチームにもチャンスがあった」と渡辺監督はいう。「それを(優勝した)青学大がうまく生かした」
総合タイム | ||
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1 | 青山学院大 | 10時間49分27秒 |
2 | 駒大 | 11時間0分17秒 |
3 | 東洋大 | 11時間1分22秒 |
4 | 明大 | 11時間1分57秒 |
5 | 早大 | 11時間2分15秒 |
6 | 東海大 | 11時間7分8秒 |
7 | 城西大 | 11時間8分15秒 |
8 | 中央学院大 | 11時間9分18秒 |
9 | 山梨学院大 | 11時間10分43秒 |
10 | 大東文化大 | 11時間11分15秒 |
早大のレースを振り返ってみよう。往路1区の中村信一郎は区間11位だったが、記録は1時間2分42秒で「タイム自体は悪くはなかった」と渡辺監督。2区の高田康暉も1時間8分17秒で、区間6位ながら自身が同区で区間賞を取った昨年より1秒早い走り。3区の井戸浩貴も想定より10秒遅いだけで「ここまでは想定内だった」。
だが、4区に当日メンバー交代で入った平和真が区間9位で、「このへんからリズムが狂った」と同監督はいう。1、2年のときにともに5区で区間3位の記録を出し、今年「山の早大」といわれる象徴的存在だった主将の山本修平も区間10位と不発。山本は「1、2週間ほど前にアキレスけんを痛めていた」と後になって明かしたが、「4、5区がなければ……。本当に残念」と渡辺監督は悔しがった。
それでも3日は6区で箱根の山下りのスペシャリスト、三浦雅裕が区間賞に輝くなど、復路で3位となって意地は見せた。「最後の箱根で完全燃焼できたか」と問われると、「5位という結果は不満だが、選手が8割方は力を発揮してくれたので、そのことには満足」と目を細めた。
思い返せば04年の監督就任当時、前年の箱根駅伝で15位、その年の初めの同駅伝で16位とシード権を2年連続で逃していた。だが、東京都立川市で行われている箱根駅伝の予選会に出場し、それを突破したことで「何も指導者経験がなかった僕に自信が芽生えた」。12年間の監督生活で何が思い出に残っているかというと、「3冠を取ったときのことはもちろんだが、一番頭に鮮明に浮かぶのはこの予選会。予選会が指導者としての僕を育ててくれた」と渡辺監督は話す。
■高速駅伝への対応を植えつける
就任直後の2年間の箱根駅伝は05年11位、06年13位とやはりシード権を取れなかったが、07年に6位となってシード権を獲得すると強豪の仲間入りをし、08年から2年連続2位。11年は18年ぶりに早大を総合優勝に導いた。
伝統校を復活させた秘密は何だったのか。渡辺監督は自身が早大に残したものについてこのように話している。「(瀬古利彦さんらを育てた名伯楽の)中村清さんの流儀や瀬古さんのやり方を継承しつつ、僕は高速駅伝に対応するための考え方や戦略を選手たちに教えてきた。今の箱根駅伝は(総合で)11時間を切るタイムでないと優勝はできない」
05年 | 11位 |
06年 | 13位 |
07年 | 6位 |
08年 | 2位 |
09年 | 2位 |
10年 | 7位 |
11年 | 1位 |
12年 | 4位 |
13年 | 5位 |
14年 | 4位 |
15年 | 5位 |
渡辺監督は、かつてエースだった大迫傑(現・日清食品グループ)をスタート区間である1区に何度も起用した。そうした「先手必勝」のプランも高速駅伝に対応する秘策だったことはいうまでもない。
選手からみると、どんな監督だったのだろう。6区で区間賞を取った三浦は「監督からは与えられた練習メニューではなく、自分でメニューを考えるようにならないとダメだということを教わった。単に走り方を教えてくれるだけではなく、考え方も教えてくれる監督だった」と感謝する。
2区を走った高田は監督との一番の思い出についてこう話す。「記録が全然伸びずに悩んでいるときに『こんなところで、だめになっていいのか』といわれたことを覚えている。その一言で目が覚めて、また頑張れるようになった」。そして、山本主将は「選手の意見も聞いてくれ、コミュニケーションが取りやすい監督だった。いざというときには頼れるという心強さが競走部の生活の中にあった」という。
普段は温厚で、選手の中に入ってきて冗談も言い合う渡辺監督。しかし、言うべきときにはビシッという。めったに叱らない監督が厳しいことをいうから選手の心に響く。オンとオフの使い分け――。渡辺流の指導のツボは、そうしたことだったのではないか。
■温室育ちの払拭、後任に託す
今回、総合5位に終わったことについて「自分の指導力不足」と繰り返した。足りなかったのはチームを組織としてまとめあげることだったという。「自分は個人も(一流選手として)育てたいという部分がどうしてもあって、チームマネジメントという部分では至らないところがあったかもしれない」
早大の選手は温室育ちで、競り合いに弱い、悪条件に弱いともいわれていた。そうしたことの払拭にも力を注いできた。「だが、今回の駅伝でも競り負けるというところが出てしまっていて、僕の性格が乗り移ってしまっているところがある」と優しくほほ笑んだ。
渡辺監督が理想とするのは、他選手の後ろについていって自分からは仕掛けないのではなく、ほかの選手と並んだときに負けてもいいから自分から主導権を取って前に行くような気持ちを持った選手。「いきなり(駒大の)大八木弘明監督のように魂を注入するのは無理だと思うので、新しい監督がなんとか変えていってほしい」と後任監督に課題を託した。
昨年11月の全日本大学駅伝で7位に沈み、今年は予選会から臨まなければならないことが心残りだという。「来年の箱根駅伝で優勝を目指すことは、決して無理な目標ではない。予選会に出場することで得るものも絶対にある。私のメソッドをたたき込んだスタッフもたくさん残っている」
昨年、早大競走部が100周年を迎え、自分の中でも一区切りということで退任を決意した。箱根駅伝は"卒業"するが、今後もなんらかの形で陸上界に貢献していきたいと考えているそうだ。現役時代に大学長距離界を沸かせたスター監督はこれで箱根を去る。しかし、渡辺監督の持つ駅伝スピリットは早大に脈々と受け継がれていくに違いない。
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