ペットホテルで愛犬が大けが、飼い主が越えた一線
愛犬家にとって犬は家族だ。子供のようにかわいがっているトイプードルがペットホテルで大けがをし、そのうえ右前脚の先を失うことになった。こみ上げる怒りから、飼い主はどこかで一線を越えてしまったのだろうか。ドッグトレーナーに慰謝料などを請求した民事訴訟の判決は意外なものだった。
飼い主の女性が愛犬のトイプードルを近所のペットホテルに預けたのは、その秋の日が初めてではなかった。近所の気軽さから、仕事などの外出時にその年だけですでに70回ほど利用していた。問題を感じさせるようなことは一度もなかった。
ペットホテルで働くドッグトレーナーの女性は、預かったトイプードルを庭のウッドデッキに放し、別の犬にブラシをかけていた。その時、背後で鳴き声が聞こえた。振り向くと、トイプードルがデッキの階段付近にうずくまっている。慌てて近くの動物病院に連れて行ったところ、右前脚の骨折で全治2カ月と診断された。
右前脚のけがで賠償請求、1000万円超
不幸はそれで終わらなかった。2カ月近く過ぎても右前脚の様子がおかしいため、飼い主が別の動物病院に見せたところ、右前脚の先が壊死(えし)していると診断された。その部分を切除し、皮膚を縫合する手術を受けることになった。
「ペットは家族と同等。適切な管理を怠ったことによる事故で、私や家族、トイプードルは大きな精神的苦痛を受けた」。飼い主はトレーナーの女性を相手に地方裁判所に提訴。慰謝料600万円に加え、事故当日に付き添いで仕事を休んだ休業損害や動物病院までのタクシー代、将来の義足代など合計1000万円以上の賠償を請求した。
ところが、裁判の中で事故後の詳しい経過が現れてくると、話は別の様相を見せ始める。
事故当日、動物病院に駆けつけた飼い主に、トレーナーの女性は「治療費は全額支払う」と申し出て、実際に約40万円を支払った。見舞いの交通費などとして、飼い主本人にも12万円を渡した。切除手術後、飼い主が泊まり込めない日の付き添いも引き受けた。そのために仕事をやりくりし、付き添い時間は長い日で8時間に及んだ。
責任を感じて誠意を尽くそうとしていたように見えるが、医師の説明がトレーナーから聞いていた話と違うと感じた飼い主はトレーナーへの不信感を募らせていく。
「あの日あなたが目を離さなければこんなことにならなかった。なのに本当の意味で私たちが被っている傷を理解していない」。飼い主は非難のメールをトレーナーに送り、さらに電話で「もう犬の仕事はしないほうがいい。他の顧客もあなたに不満があるが言えないだけだ」と告げた。
ショックを受けたトレーナーは、受診した心療内科で適応障害と診断され、弁護士に対応を一任した。弁護士は飼い主に「今後の連絡はすべて自分を通してほしい」と伝えた。
弁護士対応に怒り、半日でメール33通
これが飼い主の怒りの火に油を注いだ。「加害者でありながらいきなり弁護士が出てくるとは本当にびっくり。ドッグトレーナー以前に『人』としてあり得るのでしょうか」「そもそもデッキから落ちたのではなく、あなたが踏んだのだろうと、ちまたでは言われています」。トレーナーへのメールは半日で33通に上った。
翌日以降もメールは続く。「謝罪のひとつもせずお金で解決しようとは、あなた愛犬家ではありませんね」「ワンちゃん仲間に話をすると全員口をそろえて『そのトレーナーが悪い、許せない』と言います」。弁護士からの連絡以降、飼い主が送ったメールは半月ほどの間に計67通に達した。
地裁は判決でまず、幼いトイプードルは骨が細く、骨折の危険性があることからケージに入れるなどして安全を確保する必要があったと指摘。「骨折事故の責任はウッドデッキから転落しないようにする注意義務に違反したトレーナーにある」として、飼い主側の訴えを認めた。
ただし、賠償額は大幅に削った。骨折部分と壊死部分が異なり、切除と事故との因果関係は明確ではないと判断。休業損害についても「生命に危険が及ぶものではなく、付き添いが必要だったとは認められない」とし、女性が支払うべき賠償額は慰謝料を含めて5万1600円と算定した。そのうえで、トレーナーの女性はすでに交通費などの名目で12万円を飼い主に渡しており、「賠償額はすでに支払われた」と結論づけた。
一方、トレーナーが適応障害の診断を受け、弁護士から直接連絡しないよう伝えられた後に飼い主が送った67通のメールに対し、裁判所は厳しい目を向けた。「申し入れを無視して責任追及のメールを送り続け、社会通念上許容しうる限度を超えている」とし、不法行為を認定。トレーナー側が起こしていた反訴の訴えを認め、逆に飼い主に対して慰謝料15万円の支払いを命じた。
飼い主にとってはとうてい納得できる内容ではなかっただろう。飼い主側は判決後すぐに控訴し、高裁で審理が続いている。
(社会部 山田薫)