大阪、実はワイン造りの適地 100年の歴史
ブドウ栽培日本一の時代も
向かったのは14年にワイン造りを始めた柏原市のカタシモワインフード。創業期の木製ブドウ圧搾機が保存されていた。
「もとは日本酒造りに使われていたものです」と社長の高井利洋さん。祖父、高井作次郎氏がワイン醸造を始めた時は手探りで「道具は自分たちで考え作ったようです」(高井社長)。
原料の甲州種のブドウの苗木は、大阪府が東京の新宿御苑から配布を受け、1878年から今の柏原市などで栽培された。
同市や羽曳野市あたりはブドウ栽培に適した気候。府立環境農林水産総合研究所(羽曳野市)の総括研究員、細見彰洋さんは「この辺は山に囲まれ南風や東風が遮られるため雨が少なく、ブドウ栽培に向いている」と説明する。
大阪府のブドウの栽培面積は昭和初期に1000ヘクタール近くになり、山梨県を抜き全国1位だったとの資料もある(2011年は収穫量で7位)。品種別では、今ではデラウエア種が約9割だが、当時は甲州種が最多。同社では当時の甲州種を引き継ぎワインを造っている。最も古い木は樹齢が99年。今でも20房程度のブドウがなる。ブドウの樹齢が高いほどワインは複雑な味になるとされる。
「堅下甲州合名山南西畑2011」(720ミリリットル入り、ネット通販で2625円)は樹齢の高い木のブドウを原料にして造った。澄んだ薄い黄色で洋ナシの香りがする。温暖な気候のせいか、どっしりした風格もある。繊細なワインが多い山梨県産とは違う味わいだ。
大阪がブドウの一大産地だった頃、大阪発祥の酒類メーカー、サントリーホールディングス(HD)は地元のブドウを赤玉ポートワイン(現赤玉スイートワイン)の原料に使っていた。「大阪府はデラウエア種、甲州種、マスカットベリーA種の供給地の1つだった」という。
同社は1899年に創業、1907年に甘みを出した同ワインを発売した。19年には築港本工場(現大阪工場)を建設し大量生産。広告も当たって市場を席巻し、この利益をもとにウイスキー製造に乗り出す。
同ワインは現在、長野県産のブドウなどを原料に同社傘下のサントリー酒類が大阪工場と栃木県の「梓の森工場」(栃木市)で甘味果実酒として生産する。ルビーのような赤で、さわやかなキャンディーの味がする。
カタシモワインフードとサントリーは今に続く西日本最古級の果実酒や甘味果実酒のメーカーだが、実は関西にはそれ以前にワインの醸造所があった。兵庫県稲美町に史跡がある「播州葡萄(ぶどう)園」だ。明治政府が殖産興業の一環で1880年に開設、敷地は約30ヘクタールでブドウを栽培。ワインを醸造した。ただ、同町立郷土資料館の学芸員、藤戸翼さんによると「販売した記録はない」といい、90年代後半に閉鎖同様になった。
「このへんに1.5キロにわたって葡萄園がありました」。藤戸さんに案内してもらったのは農地や民家が広がる平たんな土地。発掘調査でレンガ造りの醸造所の跡やガラス瓶などが見つかった。その中の1本には透明な液体が残り、木の栓がしてある。「未開栓で、ワインかどうかも分かりません」と藤戸さん。飲むことはできなかった。
今、関西にはワイン造りの新風が吹く。ワイン販売を手掛けるパピーユ(大阪市)が大阪・ミナミ近くで大阪産ブドウを使ったワイナリー開設の準備を進める。国税庁の統計では関西2府4県のワインの製造免許場数は40を超えた。日本の本格的ワイン醸造は1870年ごろ山梨県で始まったとされるが、関西にも独自の歴史と文化が積み重なっている。
(大阪地方部次長 伊藤健史)
[日本経済新聞大阪夕刊いまドキ関西2013年2月20日付]