ロボットの脅威 マーティン・フォード著
多くの職が奪われる未来を考察
映画『ターミネーター』の暗澹(あんたん)たる未来像に比べるなら、本書で描かれる近未来像は、一見遥(はる)かに穏やかなものだ。しかしそれは、その未来像が明るく楽観的なものだということを意味するわけではない。
もちろん本書は単純な技術批判ではなく、かといって単純な技術礼賛でもない。いろいろな技術の中で特に焦点があてられるのは、指数関数的な発展を誰もが実感している情報関連技術の総体である。
なお本書で「ロボットの脅威」といわれるものは、その種の自動化技術の全体が社会にもたらす問題点のことを指している。
例えばファストフード店での単純労働は、あまり高いスキルを持たない労働者の重要な受け入れ口の一つだった。しかし自動化が進めば、肉を焼いたり、注文を受けたりなどの作業がロボット・自動化技術に肩代わりされ、多くの労働者が職を失うと本書は危惧する。
しかも、本書の重要な論点の一つは、その種のいわば機械による人間労働者の駆逐が、情報関連技術の成熟に伴い、より予見困難で創造性や臨機応変性をもつ、高次のサービス業全般にまで及ぶかもしれないという重大な予想なのだ。円熟した自動化技術がたいていの人間労働を追い抜いてしまう。それには金融関係の仕事さえ含まれる。
だが、そうなると、極めて多くの労働者の職の安定性が脅かされることになる。情報技術はわれわれに多くの利便性を与えてくれたが、ある日気が付けば、自分がそれなりに普通にこなしていた仕事から追い出されるということになりかねない。
そうなると何が起こるのか。それはごく一部の圧倒的な成功者と大部分の失職者という、凄(すさ)まじい格差社会の出現だ。だが、労働者は働くからこそ、消費行動ができるようになる。つまり大多数が失職者になれば、未来は何も買えない人間が大部分という社会になる。図抜(ずぬ)けた大富豪とて、一家で千台もの自動車を買うことはない。
だが、それならそもそも何のために企業は先端的な情報技術で早く優れた製品を作り続けるのだろうか。これでは社会を自動化することの根拠自体が揺らいでしまう。著者は、主にハイエクの理論に依拠しながら、この大きな逆説をある程度補填できる社会哲学を、最後の方で提示している。それは社会に独特なセーフティネットを張るための構想だが、その際可能的な反論に対しても、著者は丁寧に答えている。本書は充分(じゅうぶん)な味読に値する良質の本である。
(東京大学教授 金森 修)
[日本経済新聞朝刊2015年12月6日付]