沖縄「慰霊の日」 翁長知事が平和宣言
沖縄は23日、太平洋戦争末期の沖縄戦の犠牲者を悼む「慰霊の日」を迎えた。70年前のこの日、多数の住民を巻き込んだ悲惨な地上戦で旧日本軍の組織的な戦闘が終結。最後の激戦地だった糸満市摩文仁(まぶに)にある平和祈念公園では沖縄県などの主催で「戦後70年沖縄全戦没者追悼式」が開かれた。遺族や安倍晋三首相、翁長雄志知事らが参列し、20万人を超える犠牲者に黙とうをささげた。
翁長知事は平和宣言で「愛する人々を失った悲しみを私たちは永遠に忘れることができない」と語った。
また米軍普天間基地(宜野湾市)の名護市辺野古移設については「政府は固定観念に縛られず、移設作業の中止を決断するよう強く求める」と異例の主張を盛り込み、県内移設を進める政府の姿勢を批判した。国内にある米軍専用施設の約74%が沖縄に集中していることも指摘。「沖縄の米軍基地問題は日本の安全保障の問題であり、国民全体で負担すべきだ」と沖縄の負担軽減を求めた。
安倍首相は「今後も引き続き沖縄の基地負担軽減に全力を尽くす」とあいさつ。「沖縄の発展は日本の発展をけん引するもので、私が先頭に立って沖縄の振興をさらに前に進める」と強調した。
追悼式にはケネディ米駐日大使のほか岸田文雄外相、中谷元・防衛相らも出席した。
国籍や軍民を問わず、沖縄戦の戦没者名を刻んだ石碑「平和の礎(いしじ)」には2015年度に新たに判明した87人が追加刻銘され、総数は24万1336人となった。
沖縄戦では1945年春、米軍が沖縄本島や周辺諸島に上陸し、激しい地上戦で県民の4人に1人が犠牲になった。52年4月28日のサンフランシスコ講和条約の発効に伴い日本は独立国として主権を回復したが、沖縄は日本本土から分離。米施政権下に置かれた後に、72年5月15日に本土復帰した。