片側空け→歩行禁止 マナー変わる? エスカレーター
編集委員 小林明

急いでいる人のために片側を空ける――。エスカレーターの「片側空け」は全国各地でよく見かける習慣だが、実は「歩行禁止」が最新のルールだということをご存じだろうか? 隣をすり抜ける際、荷物や体などが接触して思わぬ転倒事故を引き起こす恐れがあるためだ。だが、いったん世の中に根付いた習慣を改めるのはなかなか容易ではない。
エスカレーターはつまずきやすい
昨年7月、日本エレベーター協会、日本民営鉄道協会などは「エスカレーターでは歩かず、片側を空けず、手すりにつかまる」ことを呼び掛ける共同ポスターを作成した。「本来、エスカレーターは立ち止まって乗ることを前提に設計されています」と話すのは日本エレベーター協会事務局長の藤良典さん。
エスカレーターの標準的な勾配は30度で公共の階段よりも急。ステップの高さや奥行きも大きいのでつまずきやすい。ステップの幅は1.1メートル以下。1.4メートル以上とされる公共の階段よりも狭く、追い越しは想定していない。「1つのステップに乗れるのを2人までとし、利用者が必ず手すりにつかまれる構造にする」(日本エレベーター協会)ためだ。
ところが、大都市の主要駅などで「歩行禁止」を守っている場面はあまり見当たらない。実際には「片側空け」がほとんど。「ラッシュ時は急ぎたいから」「後ろから片側を空けろと注意されるから」などと理由は様々。転倒事故を引き起こす懸念は残ったままだ。

ホームの混雑、強制できない「歩行禁止」
そもそも路線ごとに混雑状況が異なるうえ、駅によってはホームの拡幅やエスカレーター、エレベーター、階段を増設することが難しいという現実もある。「歩行禁止」にすればホームの混雑が迅速に解消できず、状況次第ではむしろ転落事故も招きかねない。
鉄道会社の対応もバラバラだ。名古屋市交通局や福岡市交通局などは「歩行禁止」を掲示やアナウンスで利用者に呼び掛けているが、JR東日本、東京地下鉄、東京都交通局、阪急電鉄などは「あくまでもマナーの問題。『歩くな』とは強制できない」という立場。
法令ではエスカレーターの乗り方について明確に定めておらず、現場や個人の判断に任されているのが実情。かつては鉄道会社各社が「片側空け」を奨励した時期もあり、「何がルールなのかよく分からない」と利用者には戸惑いも広がっている。
英国→大阪→東京と「片側空け」が普及





「片側空け」の習慣はいつごろから、どのように広がったのだろうか?
エスカレーターのマナーに詳しい江戸川大学社会学部の斗鬼正一教授によると、起源は英国だという。第2次世界大戦中に混雑緩和のためのマナーとして考案されたらしい。日本では1967年に阪急電鉄の梅田駅が移転した際、エスカレーターが長くなったので、急ぐ人のために「片側空け」を呼び掛けたのが最初。さらに1970年に開催した大阪万博の「動く歩道」にも、国際化に対応しようと英国式マナーが導入された。つまり、日本では大阪が「発祥の地」だったのだ。
やがて、「片側空け」が全国に本格的に普及するのは1980~90年代以降のこと。特に東京では深い地下鉄駅が相次いで建設されて長距離のエスカレーターが増えたため、「片側空け」が徐々に普及するようになった。
これらを時系列でまとめると、英国→大阪→東京という順番で普及してきたのが「片側空け」の大まかな歴史ということになる。
大阪「右立ち」、東京「左立ち」のワケ

ちなみに「片側空け」には不思議な地域分布があるので紹介しておこう。
どういうわけか、大阪、神戸など近畿圏(おおまかに関ケ原以西、明石以東)では「右立ち」、東京、名古屋、札幌、福岡などそれ以外の地域ではその逆の「左立ち」に分かれているのだ。
実はこれにもれっきとした理由がある。斗鬼教授によると、海外では英国、フランス、ドイツなど欧州や米国、中国、韓国など多くの地域に導入されている「右立ち」が圧倒的に主流。(「左立ち」は豪州、シンガポール、ニュージーランドなどに限定)。だから、海外で主流の「右立ち」がまず大阪で採用され、それが周辺の近畿圏に広がったというわけ。
このほか、阪急電鉄が梅田駅に「右立ち」を導入したのは「右利きの人が利き手で手すりを持ちやすいためだ」という説もある。
海外と日本では"逆転現象"
では、東京などそれ以外の地域ではどうして逆の「左立ち」が広まったのか?
これは「自動車の左側通行にならって普及したからではないか」と斗鬼教授は説く。こうした理由で、世界では「右立ち」が主流、日本では「左立ち」が主流という"逆転現象"が起きたらしい。
「歩行禁止」を巡っては、「安全が第一。『歩行禁止』を直ちに徹底するべきだ」という賛成論も多いが、「世界で広く受け入れられている『片側空け』をなぜ改めなければならないのか」という反対論も少なくない。
人間には周囲の人と同じ行動を取る習性があり、時間をかけて慣れ親しんだマナーを変えるには相当なエネルギーが必要。啓発活動だけでなく、混雑緩和のためのインフラ整備や改革策なども含めて社会全体が多角的に取り組まなければ問題は簡単には解決しない。
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