参加者6万人超、宮城・南三陸「語り部バス」の磁力
東日本大震災から4年
「未曽有」の3文字では形容しきれない――。南三陸ホテル観洋(宮城県南三陸町)の女将、阿部憲子さんは2011年3月11日の東日本大震災を振り返り、「千年に一度といわれる被害を簡単に表現してほしくない」と話した。あの日を体験した者にしかわからない感覚は、それほどに重い。南三陸町だけでも800人以上の死者・行方不明者を出した震災から4年となった。
風化が進む中で、あの日に何が起こったのか知りたいと町を訪れる人も多い。同ホテルでは12年2月から毎朝、「語り部バス」を運行している。「どこに何があったのか案内してほしい」という宿泊客の要望に応えたのが始まりだ。3年間で約6万2000人がバスツアーに参加した。
週末には大型バス3台が満席になり、ゴールデンウイークや夏休みには6台のバスが連なる。ツアーの所要時間は約1時間。震災を生き延びたホテルの従業員たちが語り部を務める。壊滅的被害を受けた戸倉地区や全国的にも有名になった防災対策庁舎などを案内して回る。
語り部によって内容が異なるが、実際に震災を経験した人が語る言葉には聞く者の胸に迫るものがある。これまで取材したツアーの参加者の中には、ハンカチで涙をぬぐう人の姿も見られた。
南三陸町では、4230人(2月20日時点)がいまだに仮設住宅に住んでいる。ピークだった3年前の5841人からあまり減っていない。48の地域に58の仮設住宅団地、計2195戸が残る。
佐藤仁町長は復興の進捗状況について「間違いなくやれたかというと、じくじたる思いもある」と認めつつも「津波でもう二度と命を失わない町をつくるため挑戦を続ける」と話した。
町内ではかさ上げ工事のための土を運ぶダンプトラックがあちこちで見られ、工事のつち音が絶えず響いていた。南三陸町が元の姿を取り戻す日は来るのか。「何年かしたら生まれ変わったこの町をまた見に来てほしい」。語り部の言葉を信じたい。
(映像報道部 斎藤一美)