他人思いやる「ペイフォワード」 無償奉仕で好循環生む
インテカー社長 斉藤ウィリアム浩幸
今日、ご紹介したい言葉は「ペイフォワード(Pay it Forward)」です。直訳すると「先に払う」の意味ですが、これは組織や社会に所属する一人ひとりの人間が互いに無償のボランティアを提供しあう優しい関係性を表現する言い回しです。
私は学生時代にベンチャーを起業しました。世間を知らない20歳前後の若者ですから、何もかも足りないものばかり。知識も人脈も資金も周囲の方々から与えられる一方です。当時すでに世界一の大富豪として有名だったビル・ゲイツも面識もない生意気な起業家からのメールに対して面会の時間を割いて、ビジネスを成功させるために大切なことを教えてくれたのは、日本人の感覚からすると、ありえない美談でしょうか。
当然のことながら、ベンチャーを立ち上げて間もない私には、すぐに恩返しする力などありません。会社が倒産するかどうか、瀬戸際のラインでもがいている人間に周囲も見返りは求めません。彼らが私を助けてくれたのは、損得勘定のない無償の奉仕、ボランティアにほかならないのです。時がたち、私は今、日本でベンチャー支援の事業を行っています。ビジネスとしてというよりも活動の大半は収益性のないボランティアです。なぜ少しも得にならないことをするのか。これが、かつてお世話になった方々への私なりの恩返しなのです。
つまり、「ペイフォワード」の仕組みはこのようなものです。AがBに与える。BはAに恩を返すのではなくCに与える。CはAやBに対して恩を感じながら、つぎの世代へより多くのことを伝えていく。やがて社会には互いを思いやり、自然に後進が育ちやすい、ポジティブな循環が生まれます。もしかするとペイフォワードの概念は理想的に過ぎると感じる方もいるかもしれません。他人から搾取する一方で、誰にも与えない人間が得をするだけではないかという疑念もあるでしょう。
しかし誰にでも人生には山の時期もあれば谷の時期もあります。たとえば来月の結婚式の準備で忙しい同僚がいます。ご両親の介護が必要になって慌ただしい先輩もいるかもしれません。入社したばかりの後輩の中には仕事に慣れず冷や汗をかく不器用な人もいそうです。彼らから見返りを求めて何になるでしょう。人生には与える一方の時期、与えられる一方の時期、どちらもあるのが当然です。
私が日本に来て驚いたのは「お手伝いしましょう」と声をかけると拒否されることです。無償のボランティアに対し免疫がないためか「この人は何をたくらんでいるのだろう?」と勘ぐられてしまうのです。日本の文化にはすべての人間は対等であり人様に施しを受けることを恥と考えるところがあるようです。しかし、人間はいつも対等でなくてはならないのでしょうか。平等であると考えることが優しさなのでしょうか。
米国ではボランティアの課外活動などを通して、人間には能力的にも環境的にも格差があることを幼少時から学びます。その上で、他人に与える余裕のある人間が、ペイフォワードの循環をスタートさせたことが今日の経済的発展の礎となったことは、ベンチャー起業家であった私自身も肌で感じた事実です。少なくとも「個人主義」の呪縛にとらわれた人が、互いを助けあうメンバーで構成された「チーム」を上回るイメージは湧きません。
(インテカー社長 斉藤ウィリアム浩幸〈ツイッターアカウント @whsaito〉)
[日経産業新聞2015年4月10日付]