「富士登山あまり来ないで」 山梨・静岡県の同床異夢
富士登山の愛好者にとって昨年夏から導入された入山料に加え、気になる動きが出てきた。主要な4つの登山ルートごとに望ましい1日当たりの登山者数を算定し、その適正数に近づけるよう努力することになったからだ。具体的な適正登山者数は今後3年程度の調査を経て決め、2018年の夏山から適用するが、「富士山にはあまり登りに来ないでほしい」という登山者抑制に向けた両県のメッセージが示された格好だ。
山梨、静岡両県を中核とする富士山世界文化遺産協議会が昨年12月24日にまとめた「ヴィジョン・各種戦略」(富士山ヴィジョン)で、こうした施策が打ち出された。きっかけは13年に富士山が世界文化遺産に登録された際にユネスコから宿題として課された登山者対策。「山梨県側で多数の登山者が登山道や山小屋に多大な圧力をかけている」とされ、富士山という世界文化遺産を守るには、登山者数をどの程度に抑えなければならないかという「収容能力」を研究するようユネスコから求められた。
ユネスコに一連の対策を提出するのは16年2月1日が期限なので、適正登山者数算定はこれには間に合わないが、「日本は富士山対策をちゃんとやっている」とのアピールにはなる。
話が具体的になるにつれ、富士山と山麓の富士五湖に観光収入の多くを頼り、登山者抑制に慎重な山梨県と、登山者が山梨県より少なく、適正登山者数を算出しても実際の登山者数がそれを下回る可能性がある静岡県の"同床異夢"が浮き彫りになる局面もあった。
「山梨県は金もうけしか考えていない。自然環境については静岡県の方が圧倒的に熱心だ」。昨年11月26日に両県はビジョン案策定に向け、学識者の意見を聞く大詰めの会議を開き、適正登山者数などを議論したが、静岡県の安田喜憲補佐官から思い切った発言が飛び出した。富士山の開山日が山梨県は7月1日と静岡県より例年10日程度早く、両県で一致させるのが難航しているのに加え、安田補佐官は入山料を1000円に昨年決めた際の委員会の委員長として山梨県の主張で金額を低めに設定せざるを得なかったこともあり、かねがね山梨県に不満を持っていた。
確かに山梨県は県の一組織である道路公社が5合目と麓を結ぶ有料道路、富士スバルラインを経営。登山バスを運行する富士急行や山小屋、売店など観光事業者が多い。富士五湖は県内最大の集客力がある観光地で、規制反対のプレッシャーも強い。同じ富士山でも静岡県側には大規模な観光施設はない。
静岡県は適正登山者数を昨年中に算定して今夏の登山から適用することも考えていた。しかし、山梨県が反対し、今後3年間は登山者に混雑への不満などについてアンケートを実施する調査研究期間をおき、18年の夏山までに適正数を算定する先送りを決めた。
では両県は適正登山者数をどう決めようとしているのか。一つの考えは山小屋の宿泊者受け入れ能力だ。山梨県富士吉田市の堀内茂市長は「山梨県側の山小屋の総収容人数は3000人。7~8月の62日間で約18万人。従って20万人以内が望ましい」というのが持論だ。山小屋を基準とする考えは富士山ヴィジョンに盛り込まれなかったが、議論されていた。
山梨県の場合、昨年のマイカー規制が7月10日~8月31日までの53日間と13年に比べて22日間増えたのが登山者の抑制になったほか、天候も不順だったため、昨年の登山者数は比較可能な7~8月の2カ月間で17万6454人と、13年に比べて24%も減った。
「昨年の登山者数は理想的だった。マイカー規制53日間は死守したい。今年の夏は昨年の御嶽山の噴火を踏まえ、ヘルメット着用を呼びかければ(安全を考えて登山を控えるため)登山者減を見込めるし、(任意徴収である)入山料の徴収を強制的にして徴収率をあげれば、登山者削減効果がある」と登山者抑制に積極的な堀内市長はみる。
ただ、算定しようとしている1日当たり登山者という観点で見ると、必ずしもそうではない。減ったとはいえ、山梨県側で昨年最も登山者が多かったのは8月2日土曜日の6265人と山小屋の収容人数の倍以上だった。
山梨県は山小屋の収容人数ではなく、登山者の満足度を調査して算定しようとしている。3年間かける登山者アンケート調査で、登山者が快適だったと回答したときの登山者数を抽出するなどの手法だ。ただ、「混雑していてもご来光がきれいに見えれば登山者の満足度は高くなるから、難しい作業」と担当者も認める。
適正数を算定した後に、実際の登山者数がかなり上回った場合はどうするのか。横内正明・山梨県知事は適正登山者数を「あくまでも努力目標」と位置づけ、直ちに入山を禁止する措置はとらないとしており、静岡県も同様の考えだが、目標数に近づける施策が必要という点で両県は一致している。
今夏のマイカー規制は山梨県側で昨年と同様、7月10日~8月31日の53日間実施することになった。昨夏は天候不順というもう一つの要因で登山者が大幅減になったが、今夏が好天で登山者が再び増えれば、さらなる抑制策に乗り出す可能性がある。
さらに、1日当たりの登山者数として考えると「休日の登山者を平日に移す平準化が必要」と静岡県幹部は見る。サラリーマンなどにとって休日は登山をしやすいにもかかわらず、「休日は富士山に登らないで」という休日抑制策も視野に入る。
山梨県側では昨年夏に金曜、土曜日などの休前日には富士急行が県の要請を受けて夜間バスを5合目到着午後8時前までしか運行しない異例の減便による夜間登山者抑制策を実施した。ただ、夜間登山が休前日から深夜まで夜間バスがある平日にシフトする大きな動きはなかった。このことから、登山需要の大きい休日に交通手段を規制するなどして登山者を抑制しても、平日に登山日を振り替えるとは限らない。休日の登山者抑制策は全体の登山者数を押し下げかねない。
山梨県側では山小屋や売店の昨年の売上高は13年に比べて2~3割減った。登山者数がさらに減ったり、低水準が続いたりすれば、他の観光施設を含めてマイナス効果は避けられない。世界文化遺産登録に端を発した富士山をめぐる動きは行政側の思惑を超え、登山者や民間企業に大きな影響を与えようとしている。
(甲府支局長 清水英徳)
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