鉄道相互乗り入れで威力 「ソフトが主役」の無線システム
小田急電鉄が2016年7月の全面稼働を目指して導入を進めている「列車無線システム」が注目を集めている(図1)。
列車無線システムとは、列車の乗務員が運転指令センターと通話するための無線技術で、小田急電鉄が導入しているのが、「ソフトウエア無線(SDR:Software-Defined Radio)」という新技術に基づくシステムである。このシステムはNECが開発したもので、小田急電鉄に対して2012年6月に納入を開始した(図2)。
従来の無線通信システムでは、通信方式ごとに専用の回路(ハードウエア)を用意する必要がある。1つの回路が対応する通信方式は基本的に1つだけであるためだ。これに対してソフトウエア無線では、1つの回路を多様な通信方式に対応させる。ハードウエアをいちいち変更しなくても、ソフトウエアの変更でさまざまな通信方式に対応できる。このため、設備コストや保守など多くの面でメリットがある。
ソフトウエア無線技術は、既にラジオなど民生機器の一部で実用化されているが、今後は鉄道をはじめとして産業機器でも活躍しそうだ。
相互乗り入れでも搭載機器は1台
小田急電鉄が新方式の列車無線システムを導入した背景には、東京メトロやJR東日本(東日本旅客鉄道)などとの相互直通運転の範囲を広げていることがある。
既存の列車無線システムでは、事業者によって採用している通信方式が異なるため、相互直通運転範囲の拡大によって、各車両の限られた運転台スペースに、事業者ごとに異なる複数台の機器の搭載が必要であった。これに対してソフトウエア無線を使ったシステムなら、各車両に乗せるのは1台の機器で済む。いずれの事業者の方式にも、乗務員の操作で切り替えられるからだ。
これによって、鉄道会社は搭載する機器数の減少に伴う設備費用の低減や省スペース化というメリットを享受できる。
受信信号をすべてソフトウエア処理
では、ソフトウエア無線技術について、より具体的に説明しよう。一般的な無線通信システムでは、電波を送受信する無線周波(RF)回路を通信方式ごとに専用設計する。携帯電話機やテレビなど、通信方式が標準化されていて多くの出荷数量が見込める場合は、専用設計したIC(集積回路)として量産され、機器メーカーはそれを入手できる。
しかし、民生機器に比べて出荷数量が少ない産業機器向けでは半導体からなるICを開発してもコストに見合わないことが多い。この場合、回路は電子部品を組み合わせた専用設計品となるため、入手コストが高くなる。列車無線システムは、まさにこのケースに相当する。
一方、ソフトウエア無線では、通信方式ごとに異なる回路を利用せず、ソフトウエアに処理させるので、特定の周波数や通信方式に特化した部品や半導体を使わずに済む。アンテナで受けた電波をデジタル信号に変換して、マイクロプロセッサー(あるいはデジタル信号処理プロセッサー)に取り込んで処理し、原理的にはあらゆるタイプの受信信号をソフトウエアで音声信号や動画データなどに変換(復調)する。
列車無線のデジタル化にスムーズに対応
ソフトウエア無線を採用する背景には、鉄道事業者が列車無線システムのデジタル化を進めていることもある。既存の列車無線システムはアナログ方式だが、ソフトウエア無線の採用によってデジタル方式へスムーズに切り替えられるほか、総務省主導で進む利用周波数帯域の再編にも対応できる。
さらにアナログ方式では音声通話のみだが、デジタル方式ではデータ通信が可能となるため、運転手からの指示(通告)や運行情報の文字伝送を乗務員室にモニター表示することなどで、情報伝達の迅速化が可能となる。このほか、乗務員や列車の乗客に対してより正確な情報提供を行うこともできる。運行ダイヤがますます過密になるなかで、安全確保に一定の効果を期待できる。
保守の負担とコストを大幅減
ソフトウエア無線は、鉄道事業者にとって別のメリットもある。列車無線システムは、数十年という長期での利用が見込まれる。部品の交換が必要となる場合に備えて、鉄道事業者やメーカーは保守部品を長期間保管する必要がある。保管期限を過ぎた場合は、入手可能な部品が使えるようにシステム全体の設計変更をすることさえある。
これに対してソフトウエア無線を使うと、設計変更箇所を通信方式固有の処理をつかさどるソフトウエアだけにできる。ソフトウエアを改修することで、導入した無線通信システムを長期にわたって使用できる。
デジタルラジオでも採用の機運拡大
ソフトウエア無線は今後、民生分野でもさらに広がる可能性がある。国や地域で異なる無線方式に一つのハードウエアで対応でき、追加コストもほとんどかからないためだ。
例えば米Maxim Integrated Productsと米Silicon Laboratoriesは、2013年に複数の受信方式と複数の周波数帯域に対応するデジタルラジオ向け受信LSI(大規模集積回路)をそれぞれ発表した。Silicon Laboratoriesの製品では、AM、FMをはじめ、米国のHD Radio、欧州のDABなど10種類のラジオ方式に対応する(図3)。
両社の製品は、いずれも主なターゲットが車載向けである。この場合、無線通信処理はユーザーインタフェース(UI)処理などのために搭載しているマイクロプロセッサーを実行するため、ハードウエアは通信LSIのみで済むという。
(Tech-On! 三宅常之)
[Tech-On!2013年5月16日の記事を基に再構成]