動きすぎてはいけない ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学 千葉雅也著
「いい加減」な生の姿を記述
本書は20世紀フランスの哲学者ジル・ドゥルーズについての研究書だが、その論述は決して既存の研究書の域には留(とど)まらない。
注目されるのは、タイトルに現れる「…しすぎない(pas trop)」という表現ないし思想である。ドゥルーズをはじめとしたいわゆる「フランス現代思想」は、主体やら自我やら同一性やら秩序やら、要するに「常識」の範疇(はんちゅう)に属するものをすべて括弧(かっこ)に入れ、拒絶してきたかのように思われている。特にドゥルーズは、万物を「生成変化」の流れの中に溶かし込んでしまう思想家として受容されてきた。
しかし千葉がその繊細な手つきで明らかにしていくように、ドゥルーズは「程度」の問題を忘れていない。事物の同一性は疑われるけれども、その輪郭も大切にされている。むしろ千葉によれば、ドゥルーズの生成変化の理論に見出(みいだ)されるのは、事物そのものというよりも、事物同士の関係が変化する様である。その点を千葉は、「関係の外在性テーゼ」として明確に定式化する。
この「程度」の問題は、我々の日常の実践知に直結する。ある種の哲学理論は、人間の中に「純粋欲望の追求」を見出す。しかし、人間は実際には、いろいろなことをごまかしながら、なんとなく「仮のマネージメント」を行って生きている。千葉は、そうした我々のいい加減な生の姿から目を背けない。そして、精神分析などの高度な理論を縦横無尽に駆使してそれを記述するのだ。
これは本書が、日常の生を語りつつも、哲学の通俗化には陥らず、むしろ哲学そのものの中に、新しい論述の水準を創造していることを意味する。そこでは、ヒュームの哲学が解離性同一性障害論として語られ、ドゥルーズの名が「浜崎あゆみ」や「イソギンチャク」と並ぶ。
本書におけるすぐれた哲学研究と実践知の融合は、新しい論述水準の創造、つまりは新しいことばの創造によって可能になっている。その意味で本書の登場は真に思想的な出来事である。多くの方にこの出来事に立ち会っていただきたい。
(高崎経済大学准教授 國分功一郎)
[日本経済新聞朝刊2013年11月17日付]