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私ってナニジン? 国境に裂かれる子供の心

愛知の移民先進地を訪ねて(5)

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異国の地へ渡った子供たち。遠い東洋の国。祖国とはいえ、全くの見知らぬ地。

学校へ行けば、理解のできない言葉が飛び交う。

日本語が分かるようになって落ち着いたと思ったら、母国へ。そして新生活のペースになじんだと思ったら、また、日本へ。

親を選べぬ彼らの運命は、大人たちに翻弄される。

翻弄される移民家庭の子供たち

幼いころ、日本とブラジルを行き来し、3月に愛知県の高校を卒業した山本マキコさんははっきり言った。

「子供にとって、行ったり来たりは、決していいことではない」

ある小学校に不登校になった外国人の児童がいたそうだ。

当初、理由ははっきりしなかったが、家庭の様子をみると、毎朝子供が学校へ行く前に、親が仕事のために家を出ていた。当然子供は、1人で朝ご飯を食べ、1人で支度をして、家のカギをかけ、学校へ向かうことになる。

寂しさが原因では、という一つの結論に至ったとき、理解を示したのは、親の勤め先だったそうだ。

「そういう事情があるなら、遅れてきても構いません。子供を見送ってあげてください」

それは、その親が会社から信用されていることを意味し、多くの外国人は勤勉で、勤務先からも貴重な労働力と見られていることを、教えてくれる。

このケースでは、子供が不登校という形で意思を示したものの、一体どれだけの移民家庭の子供が、訴える術(すべ)さえ知らぬまま、寂しさと向き合っていることか。

寂しいだけではなく、学校に行けば、今度は言葉の不自由に身をこわばらせる。

紹介する子供たちは、今でこそ笑顔を見せるが、例外なく苦しい時期をくぐり抜け、成長してきた。

日系ブラジル人ら、移民の多いことで知られる愛知県知多市。この春、地元の八幡中学校に入学するニコラス君は日本語の会話に不自由しない。中学で外国人の子弟を対象とした日本語適応教室に通う予定はなく、小学校でも特別扱いを必要としなかった。

ブラジルから日本にやって来たのは、本人の記憶によれば、「5~6歳のとき」。小学校入学まで1年ほどしか時間がなかったことになるが、その間に、なんとか日常会話ができるようになったそうだ。

どうやって勉強したの? そう本人に聞くと、「公文をやった」と話した。

母親が、子供が小学校に入っても苦労しないようにと、公文に入れて日本語を覚えさせたのだという。ニコラス君の努力もすごいが、息子を日本に適応させたい、という母親の意識の高さにも驚く。

多くの外国人の親には語学のハンディがいじめに結びつくのでは、という懸念がある。ニコラス君の母親は、その不安の芽を早い段階で摘もうと考えたのだ。

しかしながら、すんなり小学校になじめたかといえば、本人自身「小さいころは、やんちゃだった」と振り返り、不安定な時期もあったよう。

 中学校の入学説明会に出席した母親にも話を聞くと「連絡帳に、そういうこと(学校での問題)が書いてありました」と日本語で答えてくれた。

小学校1年生を除き、保育園のときからずっと同じクラスだったという鈴木萌水(もえみ)さんは「最初の数年間はクラスに溶け込めず、おどおどしていることが多かった」と記憶する。

クラスの仲間がニコラス君を救う

「日本語がわからないため、大声で話したりすることも多く、それが原因で先生に怒られ、自分に自信が持てなかったようです」

2年、3年、そして6年生の担任だった塩田聡美先生も、「確かに2~3年生のころは、うまく適応できていなかったかもしれない」と話し「ニコラス君を救ったのは、クラスメートだったんですよ」と教えてくれた。

「あのとき、クラスの子供たちが、彼のいいところを褒めたりしたんです」

鈴木さんも言う。「それで、自信をつけていったのだと思う」

もはや日本語には不安がない。1月に行なわれた漢字テストでは、37人中5人しかいなかったという100点を取った。おそらく彼なら、中学で多くの外国人の生徒が戸惑う「学習言語」にも適応できるだろう。

ところで、母親によると、くだんの"連絡帳"は「とってある」そう。

学校での問題点が書かれてあると、じっくり子供と何があったのかを話し合った。ニコラス君にとっては"怒られている"と感じた時間だったのかもしれないが、仕事の忙しさゆえ、子供を放置しがちな外国人家庭が決して少なくないなか、お母さんは真剣に向き合った。連絡帳は、親子の絆そのものともいえる。

自分を見失いかけて

この春、高校に合格した星野マリナさんは日本で生まれ育ったが、小学校5年生のとき、家族でブラジルへ。日本に戻ってきたのは中学校2年生の初めだった。

そのとき「(日本語は)ほぼ、忘れていた」そう。「(ブラジルでは)全然、使っていなかったから」。

日本にいたときはそもそも、家庭内でしかポルトガル語を使っていなかったため、「日本語の方が得意だった」という。小学校5年生でブラジルに転校したときは、ポルトガル語のマスターが逆に「大変だった」と振り返る。

「イチからだったから」

ブラジルで約4年間を過ごすうち、ポルトガル語に不安はなくなった。ところが、そうなったところで再び転校。日本に戻ってきた当初、「状況をうまく、受け入れられなかったようだ」と、日本語適応教室の竹内あつ子先生は言う。

 「『せっかくがんばってポルトガル語を覚えたのに、また日本語をがんばらなきゃいけないなんて私は不幸な運命だ』と怒っていたのを思い出します」

日本ではブラジル人、ブラジルでは日本人

本人も当時の戸惑いを隠さなかった。

「ブラジルに行ったら、『日本人だぁ』みたいで、日本に来たら、『ブラジル人だぁ』みたいな。なんて言うんだろう、『なんだろうねぇ』って感じ。その合間かな、みたいな」

日本での生活について語る星野マリナさん(左)

日本での生活について語る星野マリナさん(左)

アイデンティティーが揺らいだのだろうか。

同じような境遇にある多くの子供たちが、国境のはざまで戸惑い、自分を見失う。

今はもう、「全然、大丈夫」という彼女。くぐり抜けたものが違うからか、同年代の日本人生徒よりも、大人びて見えた。

「将来は多くの言葉を話し、世界中を駆け回るようなカメラマンになりたい」という。中学3年ですでにバイリンガル。最終的に彼女は、いくつの言語を話せるようになるのだろう。

余談だが、何度か八幡中学校を訪れたとき、フィリピンから来たという男子生徒に会った。

英語を話すことができ、聞くこともできる。要するに、英会話ができるのである。ただ、日本での英語の授業には苦労しているよう。

なぜなら、日本の英語の授業は日本語で行われるから。おそらく、アメリカ人でも日本語で問題文が書いてある限り、日本の中学校の英語の問題は解けまい。外国人の生徒がつまずく石は、そんなところにも転がっているのである。

冒頭で紹介した山本さんは、知多市のつつじが丘小学校、八幡中学校の卒業生だ。

生まれたのはブラジル。4歳で知多市に引っ越してきたが、しばらくはブラジルと日本を行ったり来たりの生活が続いた。小学校も1年生のときはつつじが丘小学校、2年の時はブラジルの小学校と転々とし、3年生のときにつつじが丘小学校に戻ると、ようやく落ち着いた。

充実してきた移民へのサポート体制

そのときすでにまだ日本語を覚えていない生徒のための「さくら教室」があり、山本さんはそこで学び始めたが、2年生のときに抜けたブランクは大きく「九九は5年生まで苦労した」と話す。

当時の外国人子弟は、さくら教室のほかにも、さまざまな外国人のサポート体制ができている今では考えられないような苦難を乗り越えなければならなかった。

定住外国人が増えた知多市には現在、中垣内真由美先生というポルトガル語の指導員がいる。

中垣内先生は、どこかの学校に常勤するのではなく、市内の小・中学校を定期的に回り、外国人の児童、生徒の語学指導にあたる。昨年度は毎週火曜日に八幡中学校を訪れ、翻訳の他、教材開発も手掛けたそうだ。

 ポルトガル語の指導員は市に1人しかいないため、中垣内先生は、子供だけではなく、日本語を話せない親のために、学校と保護者の橋渡し的な役割さえ務めているという。

八幡中学校の竹内先生は「中垣内さんしかできないことだらけ」と話す。

中垣内先生のような存在がいればいいが、山本さんが小学校にいたころはまだ、語学相談員はいなかったという。山本さんらは、今なら中垣内先生に頼れる問題を、自力で解決していかなければならなかった。

日本とブラジルの懸け橋に

何かあったときに通訳を務められるような人も当時はおらず、日本語の上達が早かった山本さんが駆り出され、「先生と友達の家に行って、通訳をしたこともある(笑)」そうだ。

当時の苦労を、同じ境遇の子供たちに話したりしながら、勇気づけている。

どんな話をするのか。今、日本語習得で苦労している子供たちに、その道を通った先輩として何を伝えたいのか?

そう聞くと山本さんは、「まず、親に……」と前置きして、静かに語りだした。

「(国と国を)行ったり来たりしているうちに、どちらにもついていけなくなる。できればそれはやめてほしい……」

「どちらにもついていけない」は主に言葉の問題を指す。文化、習慣もそうだが、行ったり来たりが多い子は、母国語も日本語も、中途半端になってしまうことが少なくないからだ。

山本さん自身、母語を失う可能性があった。山本さんが早く日本に適応できるようにと、母親が不自由な日本語で、山本さんに話しかけようとしていたからである。もちろん、よかれと思ってのこと。そのときの担任の先生が「お母さん、家ではポルトガル語を話してください」と言ってくれたおかげで救われたという。

その状況が続けば、山本さんはポルトガル語を忘れてしまっていたかもしれない。今、山本さんは、日本語とポルトガル語を話せることを誇りに感じている。子供たちにも、そこを訴える。

「なんでここにいるのって、思っているかもしれない。でも、2つの言葉を話せることを誇りに感じてほしい!」

自分に自信が持てるかどうか。彼女が言いたいのは、そこだ。

「2つの言葉を話せる、自分は違う。そう思うことで、自信を持って」

彼女は「あきらめないで」とも言った。彼女自身、小さなころから心が折れそうになったとき、何度自分にそう言い聞かせてきたことか。

先日高校を卒業した山本さんは、4月から知多市役所の市民活動推進課で臨時職員として働き始めた。知多市に住む外国人と日本人をつなぐ、多文化共生関係の仕事にも携わっていくという。

異国文化の背景を知り、2つの言葉を母国語のように使いこなせる彼女には適任、いや、彼女以上の人材はいないかもしれない。おわり (ライター 丹羽政善)

 少子高齢化問題の解決法として移民の受け入れが語られる。しかし、どれだけの日本人に外国人と軒を接して暮らした経験があるだろう。ブラジル人街で有名な群馬県大泉町などと並び、定住外国人が多い愛知県下の街を、移民受け入れの先進地として取材した。

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