「もうパパを擁護しなくていい」 元自転車王者の告白
禁止薬物の使用認める
「タイヤに空気、瓶に水を入れるように(禁止薬物を摂取した)。それが仕事の一部だったんだ」――。世界最高峰の自転車レース、ツール・ド・フランスで7連覇するなど活躍したランス・アームストロング(41)が、悪質なドーピング違反で永久追放されて以来初めてインタビューに応じ、禁止薬物使用を告白した。特に新しい事実はなかったが、淡々と告白する姿は全米に衝撃を与えた。
■5種類以上の薬物の使用について「イエス」
どんな形であれ、過ちを正す場合、まず事実を公に自分の口から話すことが米国では重要だ。
インタビューが放映される日、野球賭博で球界から永久追放された通算4256安打の大リーグ記録を持つピート・ローズはこう語っていた。「肩の荷が下りるはずだ。俺もそうだった。ここが第一歩なんだ」。過去に薬物使用を告白したヤンキースのロドリゲスも昨年、「まず事実を話すこと。一番つらいけれど、そこからすべてが始まる」と話していた。
アームストロングは全米で最も影響力のある女性タレントとされるオプラ・ウィンフリーの取材を選び、14日に録画し、17、18日に放映された。
「まずイエス、ノーで答えて。禁止薬物を使っていたの?」。5種類以上の薬物の名をあげるごとに「イエス」の答え。「薬物なしでツール・ド・フランスを7連覇するのは無理?」「僕の意見では無理」
■「ドーピングは地味な方法だった」
「ドーピングは地味な方法だった。でも、1970~80年代の東独の方がずっと大々的だったと思う」「マフィアみたいなスキームがあった」「僕は精巣がんを患ったから、人より血中の酸素を運ぶ能力は低い。(だからその薬がいるんだ)」
コメントを読み上げるごとく、告白は淡々と続く。感情というものがまったくうかがえない。ウィンフリーが同意も否定もせず、ただ受け止めるスタイルだけに、インタビューは異様さが際立っていた。
「勝つことが重要だった。今も勝つことは好き。意味はちょっと違うけれど」「(薬を使って)悪いと思わなかった?」と3度聞かれても答えは「ノー(思わなかった)」。「欺いていると思わなかった?」と聞かれ、「『だます』という言葉の定義がライバルや敵が持たないような利点を(自分が)得ることだとしたら、私はそうは思っていなかった」と語った。
■「コトの大きさを分かっていなかった」
「僕はコトの大きさを分かっていなかった」
「大統領から電話をもらったり、ロックスターとデートしていて、その考え方は普通は理解されないわよ」
「重要なのは今、僕がそのことを理解し始めてるってこと。僕に対する怒りを感じる」
「怒りと失望よ」
「それに裏切りだ。僕は一生かけて信頼回復につとめないといけないと思っている」
元チームメートに対して薬物の使用を強いたということについては否定したが、「いじめていたの?」と言い方を変えると肯定。「僕には(思い描いた)物語があって、それをコントロールしたかった。それに従わない人は嫌だった」
■自分の領分が侵されたら攻撃
「コントロール」が彼のキーワードだったように感じた。インタビューで何度も繰り返し、「自分の領分、チーム、名声が侵されたら攻撃する」のがポリシーで、今もほぼ変わらないという。
だから薬物違反を告発した記者・仲間に対して、必ず反撃した。訴訟を起こし、事実を語った相手を打ち負かした。薬物違反を報道した英国の「The Sunday Times」紙は、約50万ドルの賠償金を支払うことで和解した。
「真実を言っている人たちに対して、何故、訴訟を起こしたの?」
「それが大きな過ちだ。すべての結果をコントロールできると思っている男のね。言い訳できない。絶対に僕を許さない人もいるだろう。私が悪かったといいたい」
米国ではときに理解しがたい理屈の方が通ってしまうことがある。スポーツの世界でも、「クロ」を「シロ」にしてしまう場面に何度か遭遇した。一方で「フェア」「クリーン」であることを米国の人々は強く求める。
■告白に「ひどい話だ」
今年の大リーグの殿堂入りの投票結果をみても、薬物使用の疑惑があるバリー・ボンズやロジャー・クレメンスらはそろって落選した。かつて大人気だったフィギュアスケートも02年ソルトレークシティー五輪でペアの採点が問題になり、銀メダルペアにも金を与えて以降、急速に熱が冷め、いまだに尾を引いているとされる。
自ら「神話のように完璧なストーリーだった」と語るアームストロングの半生は、現代米国の究極のアメリカンドリームだった。がんを克服してツール・ド・フランスで7連覇し、慈善活動にも熱心で……。「彼を信じる」という信奉者も多かった。それだけに今回の告白は、「気分が悪くなる」「ひどい話だ」とほぼすべての記事が批判的だ。
昨年8月に米国反ドーピング機構(USADA)がアームストロングの永久追放とツール・ド・フランス7連覇などの記録抹消を発表すると、スポンサーは次々と離れ、収入源はなくなっていった。
■慈善団体の代表退任、自分の意思ではなく
自ら「6人目の子供」と語っていたがん患者支援団体「LIVESTRONG」も、「LIE(嘘=ウソ)STRONG」と揶揄(やゆ)され、存続が危うくなる始末。このため代表を昨年10月に退き、その後、理事も辞任して完全に関係を絶った。
自ら決めたと思われていたこの退任も、団体側から頼まれてしたことも判明した。「最も屈辱的な時だった。物語はコントロール不能状態。悪夢だった」
今回、アームストロングが完全降伏したのは、リセット以外、"物語"を再び描く手段がなかったからだろう。
自分の思い描いた完璧な生活を守るため、嘘を重ねました――。有り体にいうと、2時間もののサスペンスドラマの犯行動機と同じだ。ドラマは罪の告白で終幕を迎えるが、現実は続きがある。
■連邦捜査局が再捜査に乗り出す可能性も
先に挙げたThe Sunday Timesのほか、元スポンサーが和解金や報奨金の返還などを求めて訴えるとされている。昨年2月に捜査を打ち切った連邦捜査局が再捜査に乗り出す可能性もある。
USADA、世界反ドーピング機構も「スポーツ史上かつてないほど洗練され、プロフェッショナルで成功したドーピングプログラム」の全容を解明していく方針だ。
アームストロング側もこうしたことに対して協力する姿勢を示している。元チームメート同様、証言と引き換えに、罰の軽減を期待しているようだ。
「僕は人生でずっと競争してきた人間だ。また競技に戻りたい」。自分は罰を受けるべき人間としながら、いまは自転車競技でなくマラソンに興味があるといい、「(競技に戻る)資格はあると思う」とも口にした。
■国際自転車連合には「頼まれて寄付」
国際自転車連合に寄付をし、USADAにも寄付の申し出をした、という証言もある。前者は「引退し、僕はお金があったから、頼まれて寄付した。証拠隠滅のためじゃない」と話したが、後者については完全否定した。
このアームストロング騒動のおかげで、米国では薬物禁止の機運が高まった気がする。今年に入り、米大リーグと選手会はヒト成長ホルモン(HGH)の抜き打ち検査と、選手の血中成分のデータ化を発表した。
アームストロングが「00年代後半から、大会外の抜き打ち検査と生物パスポート(定期的に選手の血液を採取し、平常時の血中成分をデータ化)が導入されることになったので、05年に薬物使用をやめた」と話していて、こうした手段はかなり有効なようだ。
アームストロングも人間だ。一度だけ、言葉につまり涙を見せた。友達の前で父親をかばい続ける13歳の息子に、「もうパパを擁護しなくていいんだ」と伝えたという場面だ。
■「子供にしてはいけないと教えること」
「レースでズルをし、嘘をつき、仲間をいじめた。僕がしたことは、子供にしてはいけないと教えること。究極の罪、僕を支えて信じてくれた人を裏切った」
過ちを積み重ね、次第に我を忘れて、間違った方向に暴走していった今回の事態。「ここから得た教訓はまだ分からないんだ」とアームストロングは語った。
誰もが彼のようになってしまうかもしれない。スポーツの枠を超え、人間の心の闇を伝える"落ちた元王者"の告白だった。
(原真子)